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  • 2019.05.18 Saturday
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ゴルファーのための”くよくよするな”ブックス

94 やっぱり「ただの遊び」

あなたのまわりにも、クラブをしまいこんだまま何年間も触ってないという人がいませんか。
そういう人たちはなぜゴルフをやめてしまったのでしょうか。

自分自身のふがいなさや他人の無神経な言動、
あるいはさまざまな思いどおりにならないことに対して、
イライラしたり、怒ったり、落胆したり、失望したり、緊張したり、あるいは傷ついたり、
そんなストレスを背負いたくてゴルフをはじめる人などいません。

最初は誰でも、親友たちと過ごす時間を増やし、新しい友人を作り、
健康のために運動をし、とにかく楽しくやりたいかたこそ、クラブを手にしたはずなのです。

ところが、どこかで歯車が狂いはじめます。
真剣に取り組みすぎるようになったとき、楽しさは消えていくのです。

それがゴルフをやめた人たちの理由の大半を占めているはずです。
楽しくないのなら、無理をして続けたいとは思わないのは当然です。

「人生とは、まじめすぎる扱いをしてしまうには、大切すぎるもの」
という言葉があります。

それが真実を語っているとしたら、
ゴルフもまた、まじめすぎる取り組みをする必要のないものだと言えます。

生きる上でも、ゴルフをするときも、
ストレスに押しつぶされそうになるまで気を張り詰めてしまっては、
たくさんの大切な時間とエネルギーとを無駄に費やすことになるのです。

肩の力を抜いて、つまらないことは笑い飛ばし、もっと楽しいことに目をむけませんか。

あなたが本当にゴルフが大好きなら、
これからも最初にゴルフをはじめたときと同じ理由でプレーしつづけると、
今、はっきりと心に誓ってください。

そして、ストレスを感じて流されてしまう前に、
プレーを楽しむためにできる限りの努力をしてください。

ゴルフは本来、「楽しむための遊び」なのですから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、誓いますね。

「私は、ゴルフが大好きです」
「これからも最初にゴルフをはじめたときと同じ理由でプレーしつづけます」

「ゴルフを、楽しんで、プレーします」

・・・・・・・・・・

これで、”くよくよするな”ブックスは終了です。

難しい話もありましたが、
今回の、「この話が、全て」といってもいいかもしれません。

「楽しむ」気持ちを、忘れないようにします。




「雑・読・本」です。

今回は、
「高樹のぶ子」の『霧の子午線』です。

う〜ん。ちょっと、古い感じがしてしまいます。
1995年の作品なので、そうでもないのですが・・・・・。

学園紛争の嵐の中で、一人の男を愛しながらも、固い友情で結ばれた希代子と八重。
20年後の今、
新聞とテレビの世界でキャリアウーマンとして働く2人に訪れた信頼と反発のときを、
同世代への激励と祈りを込めて描く。

まあ、気になる人は、ちょっと読んでもいいかな。
って感じです。




ハービー・ぺニックのゴルフ・レッスン

私の人生の中の何人かの女性たち

私は幸運なことに、全米女子オープンに延べ10回の優勝を果たした勝者たちと
スポーツ界で最も権威あるホール・オブ・フェームであるLPGAの
ホール・オブ・フェールに名前がのっている12人の中の4人をコーチし、
教えることができました。

私は彼女たちをとても誇りに思っています。
そして私のキャリアの中で最高の女性生徒たちを教えることができたことも
誇りに思っています。

しかし、パリから私に会いに飛んで来てくれた女性にしてあげたことほど
誇りに思うことは他にありません。

● パリから来た女性

彼女はゴルフの才能がまったくなく、小柄で、可愛く、濃い色の目をした女性でした。
彼女はこれまでの彼女の人生の中で、
棒でものを打つということなど、したことのない女性だったと思います。

私が彼女にどこから来たのですかとたずねると、彼女は「パリです」と言い、
私は「テキサスのパリ」と言うと、「フランスのパリです」と答えました。

私はフランスからわざわざレッスンを受けに来て、
グランドからボールを打つこともできない彼女に驚きました。

最初のレッスンの前に、私は彼女に目標は何かと尋ねたところ、
彼女は家に帰るまでに主人とゴルフができるようになりたいと答えました。

彼女はクラブをどうやって振るのかの知識もなく、いくつかのボールを打ちました。
私は彼女の前に立ち、彼女が握っているクラブのシャフトを持ちました。

私はシャフトを地面と平行になるまで真後ろに動かすことによって、
彼女のバックスウィングの動きを始めさせ、そして私と一緒に動くように教えました。

そして私の手がクラブを真っ直ぐに引き上げたら、彼女は自然に身体を回し、
左足のカカトを地面から上げたのです。

私はそのクラブを戻し始めました。
左足のカカトはまた自然と地面につきました。

私はとてもゆっくりとシャフトを振っていかせ、
彼女の肘が身体の正面にくるフィニッシュまで持っていきました。

それから私は同じことを繰り返し、繰り返し行ないました。5回ほど。

その度に、私は少しずつリズムを加えていき、彼女に口では言わなかったけれども、
バケツを振るイメージを彼女に持たせるようにしました。

「さあ、どうするか、もうわかっていますよ」と私は言いました。
私はボールをティアップしました。

「あなたが知っているようにクラブを振ってください」と私は言いました。

「私はあなたにゴルフボールを打とうと思ってほしくありません。
あなたのスウィングでティを切ってほしいのです」

この可愛い女性は、空中にボールを打ち、75ヤード飛ばしました。

この時生徒か先生か、どちらのほうが嬉しかったかわかりません。
彼女は飛び上がって、私にキスしてくれました。

「私、とってもうれしいわ」と彼女は言いました。

彼女は1週間滞在しました。
私は毎日彼女をレッスンしました。

彼女がボールをうまく打てるようになった頃、
私は彼女に「もう御主人とゴルフができる準備ができましたよ。
彼とプレイする初めの5回は、ショットごとにボールをティアップしなさい。
そうすれば上に上げるようにしなくても良いからね。
その後はあなたはゴルフを本当にプレイできるようになるでしょう」と言いました。

彼女はフランスに戻り、良いプレイヤーになり彼女の御主人と何年もゴルフを楽しみました。
それ以上、教師に何が聞けるでしょう?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう、特にコメントはないですが、
上手に、「教えて上げられる」っていいですよね。

人に教えるって、なかなか難しい・・・から。



「ゴルフ日誌」追加しました。

メチャ、遅くなりましたが、
7月19日(木)の「ラフォーレ修善寺&カントリー倶楽部」のラウンドです。

熱函ゴルフセンターの月例会で、
順位はダメでしたが、なんとかの「80台」に戻ってきました。

いろんなことが、出来てきたので、
そろそろ「80台をキープ」していきたいと、思っています。

夫婦でゴルフ>ゴルフ日誌・ラフォーレ修善寺&カントリークラブ





ピーターたちのゴルフマナー

第4章 前日・当日

第4章に入る前に、ピーターたちの人物紹介です。

郷に入れば郷に従え。
ゴルファーは Play the ball as it lies. の渡り鳥だ。

・・・・・ピーター・テラバイネン

『チョイス』誌に連載されたツアーレポートの一文。
いかなる現実をも受容し、尊重し、それに対応するのがゴルフ。

これが自分の境地だと腰を据える心がなくては、
与えられた現実にあるがままに即応して生きることはできない、という教義である。
ゴルフでも、自己主張は自他の邪魔になる。

ピーター・テラバイネン
1956年マサチューセッツ生まれの米国人プロ。
欧州を中心に世界6ツアー、30ヶ国以上を転戦。
独自の生き方がM・バンバーガー著『リンクスランドへ』で描かれた。
1997年来日。
日本オープン・チャンピオンとなって、ファンを喜ばせた。
中国人で仏教徒の妻、娘とシンガポールに在住。
東洋の心の持ち主である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『リンクスランドへ』は、読んだことがあるし、持っています。

なんか、ちょっと、変わった感じの本だったと思いますが、
せっかくなので、もう一度、読み返してみようと思っています。




「雑・読・本」です。

今回は、
「本多勝一」の『北海道探検記』です。

私がここで紹介するところは、ほとんどが案内書に出ていないところか、
出ていても旅行の方法が違うために別の面をあらわしているところばかりである。
「北海道らしいところ」を旅行したい人に、未だに冒険心を失っていない人に、
私はこういうところをすすめたい。

北海道に初めて行ったのは、確か、昭和の40年代後半だと思う。
もうすでに、その頃には、まだ未舗装とはいえ、かなり整備された道路になっていて、
う〜ん。自然は、かなり少なくなっていたとは思われます。
そして、2度目に行った50年代後半には、
道路も舗装されていて快適なライディング(バイクで行きました)になりました。
・・・当然ですが、もう、自然はなかったのでしょう・・・・・。

こんな時があった。
ちょっと振りかえるには、いい本ですが。
ちょっと、キツイ感じがします。




オメーラ・レッスン(ハンク・ヘイニー)

第5章 二つのゴルフ理論

二つのゴルフ理論を生かせ


手と腕の振りを中心の指導でも、ボディの動きは無視できません。

その逆にボディ主体のスウィングでも、手や腕の使い方が上手くなければ、
よいスウィングは引き出せません。

大切なのは、この二つの絶妙な組み合わせなのです。

あなたのスウィングを観察する時、私はまずクラブの動きに注目します。
スウィングの中での欠点を探し、それを矯正する目的があるからです。

スウィングの方向や、アングルのずれは何が原因なのか。
それはボディの動きの悪さか、それとも腕および手の振りの悪さなのか。

ボディの動きが正しければ、手と腕は自動的に正しいスウィングプレーンに乗せられる
との主張をよく耳にしますが、これは誤りです。

ボディを理想的なアングルでターンさせ、正しいプレーンに乗せる。
ポスチャーも正しく保たれている。

こんな状態でも、手は好き勝手に動く可能性を残しています。

ボディが教えられた通りの動きをしたとしても、
全てが上手くいくという保証にはならないのです。

逆に腕と手がプレーン上で正確に振られたとしても、
それが正しいボディモーションを保証してくれるわけではありません。

大切なのは、身体と手が一緒に働くこと。
しかし、それらは独立した動きもするわけです。

このことを理解したうえで、
自分のスウィングの傾向に合わせた調整法を見つけるしかないのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やっぱりね。 って感じですね。

よく雑誌などで、「ボディーターンで、飛ばす!」とか、
「手打ちで、コントロール!」とかの特集があったりしますが、
あたかも、独立しているように解説されます。

「やっぱりね」というのは、やはり、違和感があったからです。
ボディだけじゃ、手だけじゃ・・・・・ですね。

難しそうですが、次回以降で解説が行なわれます。




「雑・読・本」です。

今回は、
「坂岡 真」の『盆の雨』です。

駒込富士に詣でた折、浅間三左衛門は偶然仇討の場に出くわし、
助太刀に出ようとしたのを押しとどめた山田孫四郎と名乗る老侍と懇意になった。
山田は、7年前に自分の代わりに殺された居酒屋の若主人の仇を探しているという。
浪々の身となってまで、他人の、
それも町人だが友と認めた男の仇を討とうとする老侍に、三左衛門は興味を引かれる。
書下ろしの長編時代小説。

結構、癖になっている時代小説ですが、
まあまあ、いつものように、面白かったって感じですね。




スコアアップできない50%は、クラブです。

第1章 100切り、90切りの要は「死なない」ドライバー選び

ヘッドの特性は6項目でチェック


ドライバーのヘッドで、見た目で判断できるスペックは、大きく分けて6項目あります。

●ヘッドサイズ・・・・・ヘッド体積。現在は420〜460cm3が主流。
●フェース角・・・・・スクエアに対し、クローズがプラス、オープンはマイナスで表記。
●フェース圧・・・・・厚いものが「ディープ」、薄いものは「シャロー」と呼ばれる。
●シルエット・・・・・構えたときに見える形状。いわゆる「顔」。最近、異形系が目立つ。
●ロフト角・・・・・表示と実測値、またモデルごとで違うことが多い。
●ライ角・・・・・捕まりに関わる。また、アドレス時のヘッドの見え方にも影響する。

重心設計や慣性モーメントなどは、計測しないと厳密にはわかりませんが、
この6項目から推測することはできます。

それも踏まえて、1つずつ見ていきましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、ここまでにしましょう。

チェックポイントとは違いますし、テーマは「ヘッド」なのですが、
私の場合は、「シャフト長さ」が重要だと思っています。

あまりヘッドにはこだわっていませんが・・・・・。



ゴルファーのための”くよくよするな”ブックス

93 つねに「ゴルフの精神」を忘れない

ゴルフが最高のゲームと称される理由は何でしょうか。

いつの時代にも新たにゴルフをはじめてみようと思う人たちがあとをたたず、
ベテラン・プレーヤーたちが何年間もコースに通いつづけるのも、
まさにその理由からです。

ゴルフには決して一通りではない、さまざまな要素が豊かにからみあっているので、
万人が楽しめるスポーツとなっているのです。

気心の知れた友人たちと一緒だというだけで楽しい時間が過ごせるでしょうし、
力や技を競いあうことで、勇気やチャレンジ精神が試されます。

しかし、本当の「ゴルフの精神」は楽しむこと、ただこの一言につきるのです。
ゴルフはずっと、この精神にもとづいてプレーされてきました。

しかし残念なことに、夢中になりすぎたプレーヤーたちが忘れがちなのが、
まさにこの基本精神なのです。

前出のとおり、夢中になると、とかく「数字」ばかりを気にするようになります。

何ヤードのホールなのか、パーはいくつか、
ライバルのハンディキャップは、コースの難易度は、そして、スコアはどうだったのか・・・・・。

また、技術的に腕を上げてスコアを縮めたいと願うあまり、
「練習中毒」になるプレーヤーたちも少なくありません。

練習場へ通い詰め、テレビのレッスン番組を欠かさず録画し、
ゴルフ雑誌を定期購読するような人たちです。

こういうプレーヤーに限って、
実際にコースでラウンドする時間を割こうとしなかったりします。

このような「練習中毒」となる症状の原因は、
実際のラウンドがあまりに大きな精神的なダメージとなるひどいものになりうるために、
とにかく上達することこそ至上命令であるという、一種の切迫観念にあります。

あるいは、あなたは「ベスト・スコアを更新しつづけたいからプレーするんだ!」と
言い切ったことはありませんか。

それが本当にあなたがゴルフをする理由だとしたら、
きわめて不幸なことだと言わざるをえません。

ゴルフにはスコアの数字以上のものがあることを、つねに忘れてはならないのです。

アリスター・マッケンジー博士は、
その死後に出版されたすばらしい著書で、次のような言葉を遺しています。

「わずか5ドルか10ドルを賭けた最終ホールのグリーンで、
高めに打ち上げたアプローチ・ショットを
まんまとライバルのボールよりもピン寄りの内側に落としてピタッと止められたときの気分は、
最終的にスコアが良かったときをはるかに凌ぐと、私は確信している。
スコットランドでは、誰もラウンドしたあとで『スコアはどうだった?』と尋ねたりしない。
ラウンド後の質問は、
決まって『で、今日はあいつに勝ったのか?』か、『かなり競ったのかい?』のどちらかだ」

深い含蓄のある言葉ではないでしょうか。

うまくなりたい、スコアを縮めたい。
そう思うのは当然です。
けれども、そのためにゴルフの楽しさを見失ってはならないのです。

つまり、コースに出て胸いっぱいに吸いこむ新鮮な空気のおいしさや、
取り巻く自然の美しさ、健康のために適度な運動をする喜びなどのことです。

また、コースへ出る目的は「完璧なラウンド」をするためではなく、
納得のいくショットがひとつかふたつ打てたら幸運と思いつつ、
あくまでも友人たちと楽しい時間を過ごすことであるべきなのです。

あまりにもゴルフの目的を単純にしすぎているように聞こえるかもしれませんが、
このことこそ、8万円以上の高価なドライバーや、1ダース何千円もするボールや、
さまざまなスウィング矯正機器が席巻するこの時代にこそ、
すべてのプレーヤーが立ち戻るべき基本なのです。

楽しくプレーするということを忘れてはいけません。
楽しくプレーできる限り、あなたは「ゴルフの精神」を立派に引き継いでいるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

う〜ん。
今回は、ちょっと長かったのですが、書いてしまいました。

まあ、その通りですが、
それでも「もうちょっと、上手くなりたい」のは変わりません。

「シングル」や「トッププロ」になりたいとは思いませんが、
やはり「いつでも80台で回れるくらいの技量は欲しい」と思っています。

多分、その世界は、今とはちょっと違う世界だと思っていますので・・・・・。
もっと、ゴルフが面白くなるだろうと、思っています。




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