ヤスさんの「ゴルフ礼記」(鈴木康之)

まだまだ

 

教え上手か 教わり上手か

 

レッスンはコミュニケーション 〜(3)

 

伊藤プロはその後独立し、練習場からいなくなった。

 

それを機会に「3つ目のレッスン」の私なりの受け止め方が

正しかったかどうかを確かめるため、しばらく私もプロから「独立」することにした。

 

4年たって私のオフィシャルハンディは2つ下がった。

 

ゴルフは難しい。

それを教えることはもっと難しいことなのだろう。

こちら側からいうと、教わることは更にさらに難しいのだ。

 

ゴルフスウィングは1.8秒間とも1.5秒間ともいわれる短時間内での運動である。

 

そんな瞬時に胴体や四肢を、しかもてんでんに働かせ、クラブという複雑なむきをした道具で

ボールを真っ直ぐに飛ばそうというのである。

 

この運動の理屈は上手にできるプロゴルファーにも運動工学のほうの学者にも

まだまだ不思議なことだらけだというのに、

それが素人にはどこがどうだからどうなっているのか、まるで見えない。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ですね。

 

 


ヤスさんの「ゴルフ礼記」(鈴木康之)

まだまだ

 

教え上手か 教わり上手か

 

私の仕事は広告の制作である。

 

企業からの商品情報などを顧客に伝える、作り手、使い手の双方に

よりよい実効があがるようなコミュニケーションを工夫するのが仕事である。

 

業界ではもう古株になっていて、

若手や新人に広告のコピーやデザインを教える立つことが多い。

 

伝えること、教えることの難しさにはがゆい思いをしている毎日。

「レッスンっていうのはコミュニケーション」の一言には

ただならぬ共感を覚えてしまったわけである。

 

それから7年間あまり教わった。

 

教わったことのメモ書きや

プロがレッスン時に絵を描いた紙切れのスクラップでノートが1冊できた。

 

アドレスから、テークバック、フォローまで。

腕はタテ移動、ボディはヨコ移動。足して、スウィング運動である。

 

そのバリエーションでフェードを打ち、ドローを打つ、

アプローチも、バンカーも、上げる打球も、低い打球もすべて・・・。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


ヤスさんの「ゴルフ礼記」(鈴木康之)

まだまだ

 

教え上手か 教わり上手か

 

レッスンはコミュニケーション 〜(1)

 

いい先生との出会いがあると幸せだ、というのは学校だけに限らない。

ゴルフにおいてもいえることである。

 

ゴルフは現代のお稽古ごとのひとつである。

なかなか終了証を頂けないお稽古事ではあるけれど。

 

かつて私の先生は伊藤栄三プロであった。

 

JPGA会員で、はじめっから大学での専攻である運動生理学を礎にした

ティーチングプロの道を志向してきたというスペシャリストである。

 

引っ越した家の近くの練習場で伊藤プロを見かけた。

 

前の家のほうで通っていた演習場のプロ(とやら)に失望していたので、

数カ月間は、顔つきや言葉づかい、実際のスウィングや教え方などを観察していたが、

ある朝レッスンを申し込んでみた。

 

その初回がたいへん印象的だった。

 

プロはこういったのだ。

「レッスンには3種類あるんです。

1つはいま打っているボールの曲がりを直すレッスンです。すぐ直ります。

しかし夕方もう一度ここへきて打ってみると、また曲がります。

2つ目は来週のコンペのためのレッスンです。

レッスンではいつもよりいいスコアで回れるようにできます。

しかし再来週のコンペではまた大叩きするでしょう。

3つ目は、いますぐにはよくなりませんが、スウィングを基本から覚えていき、

いずれは自分で自分をレッスンできるようになるレッスンです。

あなたはどのレッスンをお望みかということになるわけです」

 

1つ目と2つ目の、

いわば、頓服薬のようなレッスンを望むニーズがあってもおかしくはない。

 

ただし、レッスン客の望みがそうではないのに、プロのほうが1つ目のレッスンを施し、

マジックをかけるように直してみせ、

「ほらね」と言わんばかりの(TV番組にあるような)教え方はいかがかと思う。

 

私はのっけから伊藤プロの理屈が気に入って「3つ目ので、ひとつよろしく」と頼んだ。

 

プロは「プロショップにも気軽に遊びに来てください。

いろいろ話したり聞いたりしながらレッスンを進めていくのがいいですから」

と自分の店の地図を描きながら、こういったのである。

 

「レッスンっていうのは、結局コミュニケーションですから」

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 

 

 


「ヤスさんの『ゴルフ礼記』(鈴木康之)

まだまだ

 

ビギナーの責任 連れて行く人の責任

 

ゴルフのレッスンとはなにか 〜(2)

 

歴史のちょっとした行き違いで、中世のうちに渡来していたら、

ゴルフは柔道や剣道や弓道のような日本語の呼称もついた

スポーツになっていたはずだという説もあるらしい。

 

さて、「球道」「棒道」「飛道」「打道」「穴道」「草道」「芝道」・・・、

どう呼ばれていたであろうか。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

でした。

 

 


「ヤスさんの『ゴルフ礼記』」(鈴木康之)

まだまだ

 

ビギナーの責任 連れて行く人の責任

 

ゴルフのレッスンとはなにか

 

レッスンプロの本物がどれくらいいるのだろうと思う。

グリップの形や肘の使い方を教えるのが上手いプロは大勢いるだろう。

 

そういう技術レッスンの合間合間に、ゴルフのなんたるか、

心のアドレスまでレッスンが及ぶプロは、失礼ながら、そんなにはいないと思う。

 

ひとむかし前は、お稽古事、と言った。

お茶、お花、書、長唄、舞踊・・・。

 

お師匠さんから弟子・生徒へ授けられるものは、その技術の習得だけではなかった。

 

所作の前後の立ち居振る舞い方、言葉使い、部屋への出入りの作法、始めと終わりの挨拶、

澄んだ心の持ち方、姿勢の取り方、道具の手入れ、このお稽古ごとのいわれや意味や考え方・・・。

 

色々と教えてくれて、それでひとまとめのお稽古といえた。

 

ゴルフのレッスンもそうであったら素晴らしいと思う。

そこまで及ぶレッスンをやれるマスターが「プロ」と呼ばれるようであったらいいと思う。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


ヤスさんの「ゴルフ礼記」(鈴木康之)

まだまだ

 

ビギナーの責任 連れて行く人の責任

 

ルンルンとオソルオソル 〜(4)

 

今のところ日本ではゴルフ場へ入場するためのライセンス制度はない。

 

しかし、前にも後ろにも人の姿が見えないようなゴルフ場ならいざ知らず、

私たちが行くゴルフ場は前後左右にびしっと人が詰まっている、

町の道路のような社会を形成しているゴルフ場なのである。

 

しかも、みんなゴルフを楽しもうという同じ目的を持ったメンバーが集い、

高額な資金を払い合って使用する権利を持ち、運営している社会なのだ。

 

ここに無免許運転や未熟運転が野放しにされてはどうにも具合の悪いことになる。

 

来て遊ぶことを誰かに許された人か、

誰か責任を持って面倒をみる者がついている人でないと困る。

 

誰かとは、どう考えても連れて行く人しかいない。

連れて行くからには、許しを出せる人だけにして欲しい。

許しを出し、連れて行くからには責任を持って欲しい。

 

「別にお許しなんて出したわけじゃない。

こいつだって大人なんだから、そういう面倒みちゃおれないよ」では、困る。

その人、ゴルフ場では大人ではないのだから。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

当然ですね。

そのくらいのつもりで、新人を連れてきてもらわいと、皆の迷惑になります!!

 

無責任が、一番困ります!!

 

 


ヤスさんの「ゴルフ礼記」(鈴木康之)

まだまだ

 

ビギナーの責任 連れて行く人の責任

 

ルンルンとオソルオソル 〜(3)

 

話を元に戻す。

 

筆おろしする人、始めて間もない人が

ゴルフ場へワクワク、ルンルンだけで出かけては困ると思う。

初体験、未体験、あるいは別な人々の作法の世界へ入っていくのだからである。

 

少しものを想う気持ちがあれば、多少の差はあれ

オソルオソルの緊張感に包まれるようでないと、心得違いということになる。


ゴルフ場は、海や山ではないのだ。

 

今日が初めてという面々だけで連れ立って行くことはまずなく、

たいていはメンバーかだれか経験者に連れて行ってもらうのが普通である。

 

そうだ、問題は連れて行ってあげる人間である。

 

この人が、ビギナーによく教え、よく言い含め、最小やるべきことをやらせ、

しかる後許しを出して連れて行っているかどうかがモンダイだ。

 

これが車だったらはっきりしている。

 

教習場へ行ったこともない、交通法規も知らない、免許証も仮免も持っていない、

そういうレベルの者に車を運転させるはずがない。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

なんですけどね、

どう見ても”無免許”の人だと思えるのが、ゴルフ場には多く見かけますね・・・。

 

続きます。

 

 


「ヤスさんの「ゴルフ礼記」(鈴木康之)

まだまだ

 

ビギナーの責任 連れて行く人の責任

 

ルンルンとオソルオソル 〜(2)

 

メンバー制ゴルフ倶楽部とはなんぞやを教えられ、

ビジターとはかくあるべしをしつけられた世代だからであろうか。

 

もうなんべんか訪れて慣れているはずなのに、どうしてもその格調の高さに目つき、

足つきが自然にオソルオソルになってしまう倶楽部がいくつもある。

 

武蔵、安孫子などはもう10回近く、相模などはもう20数回訪れているのに、

私は毎度小さくなって入っていく。

 

倶楽部内の随所に仰ぎ見たくなる風格や洗練、歴史や名誉が見えて、

「失礼があってはならないぞ」という気持ちになってしまう。

 

こういうコースにさえ、朝のロビーやティインググラウンドで堂々声高、

ルンルン気楽な態度の人も大勢見受けられる。

 

(私が全然オソルオソルの気持ちにならないゴルフ場もある。

 

それは例えばと言って名前を並べるわけにはいかないが、新設コースに多くて、

クラブハウスがまるで都心のデラックスホテルか宮殿風豪華づくり、

従業員が接客マニュアル丸出しの馬鹿丁寧なお辞儀と白々しいもてなし言葉、

そのくせ少しも温かみのない目つき、といったゴルフ場である)

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

確かにその通りですね。

やっぱ、歴史の”深み”みたいなのって、敬意に値しますね。

 

 


ヤスさんの「ゴルフ礼記」(鈴木康之)

まだまだ

 

ビギナーの責任 連れて行く人の責任

 

ルンルンとオソルオソル 〜(1)

 

空前のゴルフブームでビギナーが急増している。

急造ゴルファーの急増である。

 

昨今の、その急造ゴルファーたちは、

初めてゴルフ場に行くという時、どういう気持ちを持つのだろうか。

 

ワクワクルンルンだろうか。

それともコワゴワオソルオソルなのだろうか。

 

私などは、初めてのコース、まだ慣れていないコースだと、

エントランスに車をつけるあたりからいまだにオソルオソルの気持ちになる。

 

「今日がゴルフだルンルン」という気分は門までで、

門を過ぎるあたりからは人様の家の門をくぐる時と同じ緊張感を覚え、

「お邪魔します」という気持ちになる。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

ですね。

 

続きます。

 

 


ヤスさんの「ゴルフ礼記」(鈴木康之)

まだまだ

 

ビギナーの責任 連れて行く人の責任

 

コース上で美しい人とは 〜(3)

 

いよいよお許しが出た。

あすは”満願の日”と言う前の晩、早い時間に顔を見せたスーさん、

ママを側に掛けさせて、言った。

 

「目立つ化粧や目立つ服装はしてくるな。

そして、よいか、スーさんだのカイチョウだのという呼び方はしてはならぬ。

誰であれ姓にサンづけで呼ぶのがゴルフ場というところでのやり方だ。

私もママだのママさんだのとは呼ばぬ。

それから、ミスショットしても叫声を発したりするな。

スミマセンと謝れ。

ミスやヘマが続いても、我慢しろ。

見ている周りの方も我慢しておるのだからな。

コースではさっさと歩け、だが、あわただしく駆けたりしてはいかん、以上、よいな。

さあて、明日は天気もいいらしい」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

いいですね、こういうの。

 

最近は、こういう先輩に連れて行ってもらいということも減っているようで、

初心者同士で来てしまって、迷惑をかけても・・・分からないんですね。

 

迷惑をかけている・・・ってことじたいが分からない。

困ったものです。

 

 


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