「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

マジな男 フレッド・コーコラン(1965年) 〜(2)

 

私は心から彼を尊敬してきたが、

ツアーを宣伝するプロモーターである私の存在は、彼にとって目障りだと思う。

 

彼は私に対して常に沈黙を守り、私はついに沈黙の壁が崩せなかった。

 

一緒にいて、すっかり心がくつろいだことなど一度もありはしないのだが、

それでも尊敬の念に変わりはなかった。

 

見事に日焼けした顔に、珍しく白い歯が覗けたときには、

それが笑ったのか悲しいのか、とうとう私には判別出来なかった。

 

笑ってしまうと情熱に翳りが生まれると、

本気で彼が思っているのではないかと訝ったことさえある。

 

ベン・ホーガンの毎日は、戦って練習して、ふたたび戦って練習して、

それから練習グリーンに根が生えて、

ホテルの部屋に戻ってもベッドに入るまでパッティングのストロークを繰り返す。

 

他の選手が寛いでいる時、彼はあえて雨に中に飛び出していった。

雨ごときでショットが乱れないように、というのが彼の考えだった。

 

だからホーガンには、笑う時間など残されていなかったのだ。

 

プレー中に何かが起こったとして、

彼がそれを面白がるとは想像できないことである。

 

なぜならば、ゴルフは彼の天職であり、

真面目で正直な彼は、ただ天職を誠実に邁進しただけの話である。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

やっぱり、”変わっている”っていうか、そんな感じですね。

とても、真似できないことです。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

マジな男 フレッド・コーコラン(1965年) 〜(1)

 

ベン・ホーガンという男は、

1度たりとも世間から人気を得ようなどと考えたことがなかった。

 

彼は常に冷静で控えめ、人から背中を叩かれることも好きではなかった。

プレー中も他の選手から離れて、1人で歩くのが好きだった。

 

ギャラリーの歓声も、彼には何の意味も持たなかった。

ヒーローに対する賛美にも関心を示さず、

そもそも応援してくれるギャラリーなどまったく価値のない存在だと思ってきた。

 

にもかかわらず、彼は私がこれまでに知り得た全選手の中で、

最も誠実かつ正直な人物であった。

 

生まれてこのかた、彼は嘘をついたことがあるのだろうか。

私には彼が嘘をつくとは思えないのだ。

 

友人も親友も彼には必要がなかった。

 

この世の誰よりも妻のバレリーが好きであり、

妻と共に過ごす時間だけが彼のすべてに思えた。

 

いかなる状況であれ、彼はゲームに勝つことが出来た稀有なる天才である。

その気迫は見る者すべての胸を打ち、彼の凄まじい精神力に息を飲むのだった。

 

彼はゴルフの中で最も会得が難しいといわれる「集中力」をマスターした天才であり、

目の前のショットをいかにこなすか、それ以外の問題はすべて心から消し去る術を会得していた。

 

このホールとこのショット、彼にあるものはこれだけ。

 

もし上手くいかなかった時は、なぜそうなったのか綿密に分析して心のファイルに綴じると、

次の試合では自分自身のサバイバルゲームに突進するのだった。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

あの小さな巨人 〜(2)

 

どのクラブであれ、感動的なほど見事なポイントは、

彼が言うところのヒッティングゾーンにある。

 

その瞬間、ヘッドは信じられないほど速く通過し、

ボールのど真ん中を打ち抜き、

ヘッドはすぐ上昇せず低く遠くまで走ってから、

ようやくフィニッシュに向かって美しく円を描くのであった。

 

彼の体内には信じられないほどのパワーが蓄えられていた。

もし本気で飛ばすつもりなら、

彼は570ヤードのロングホールを2打で乗せることも出来た。

 

しかし、リスクが伴うショットには意味がないと提唱する彼のこと、

無謀な攻めには常に消極的だった。

 

思い返してみると、彼はアイアンの名手であり、

とくにロングアイアンの正確さでは空前だったと気づくのである。

 

例えば全英オープンの72ホール目、

私は最終グリーンの後ろで彼のショットを見ていた。

 

左サイドのOBゾーンを巧みに避けながら、

彼は見事なショットをピンの右8ヤードのところにピタリと着地させた。

 

すると近くにいた誰かが言った。

「彼は今日、もの凄くショットが曲がっているではないか!」

 

それは冗談交じりの真実だった。

ピンから8ヤードも離れていれば、ベン・ホーガンにとってミスショットなのである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

凄い人が、いるもんですね。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

あの小さな巨人 バーナード・ダーウィン(1953年) 〜(1)

 

1953年、カーヌスティで行われた全英オープンに、

ようやくベン・ホーガンがやって来た。

 

そしてボビー・ジョーンズ、ウォルター・ヘーゲン、ジーン・サラゼンが

最初に試みて失敗した初参加、初優勝の快挙をやってのけたのだ。

 

彼が引きずってきた前評判はもの凄いものだった。

 

しかし、押しつぶされることもなく堂々とプレーしたが、

それでも最初の2ラウンドは重いグリーンに苛立って非常に不機嫌に見えた。

 

もっとも彼は、タッチが合うグリーンでプレーしても不機嫌そうに見える男だ。

 

やがて、彼の精緻なアイアンショットが与えてくれるチャンスが増えるに従って、

次第にパターが入り始めた。

 

我々はひそかにこう言ったものである。

「おい、小さな巨人のエンジンがかかり始めたぞ」

 

見たこともない人に、彼のスウィングの印象など伝えようもない話だが。

それでも若干のヒントなら書けるかもしれない。

 

ベン・ホーガンはかなりアップライトに立って、体重をやや左足寄りにかけ、

右足を少し後ろに引いていた。

 

全体の印象としてはフック打ちのゴルファーに見られる形である。

スウィングにはリズム感が満ち溢れて、まことにスムーズであり、

トップでのクラブの位置は、水平から少し通り過ぎているように見えた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

カラフルな親善大使 ダン・ジェンキンス(1970年) 〜(2)

 

その時、もし彼のポケットに現金さえあれば、即座に250ドルのコートを買い、

スラックスに125ドル支払っても惜しいと思わないのが彼である。

 

当時、その金額で即座に賃上げ闘争が解決できた時代だというのに、

途方もない話である。

 

しかも彼は、フランスやイタリアに淡い色彩の特別な生地を注文すると、

それをニューヨークの一流ブティックで仕立てさせた。

 

靴が欲しいとなると、自分のスラックスの生地見本を靴工場に送って、

その色とマッチする「サドル・オックスフォード」の靴を入念に作らせた。

 

お洒落は色彩だけにとどまらず、粋な言い回しも彼の独壇場だった。

 

あるときラジオのアナウンサーが彼に尋ねた。

「ツアープロの中で、最も精神的に平穏なレベルを保っている選手は誰でしょうか?」

 

すると彼は、およそ信じられないほど物事に逆上するプロ、クライトン・ヘフナーだと答えた。

「だって彼は四六時中、一定のボルテージで怒っているもの」

 

別な日、ある記者が彼に尋ねた。

「あなたはインバーネスで気むずかしいベン・ホーガンとペアを組みましたね。

その時彼は何かしゃべりましたか?」

「ああ、彼はたったの1回だけしゃべったよ。『お前なんか、どこかに消えちまえ』ってね」

 

正直なところ、デュマレのような男がもっといれば、ツアーもさらに活況を呈するのだが・・・。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

いろんな人が、いますね。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

カラフルな親善大使 ダン・ジェンキンス(1970年)

 

ジミー・デュマレが、プロゴルファーとしてよりも、

色ものに目がない男と自覚した時、

彼はアメリカのゴルフ界にとってかけがえのない親善大使となった。

 

ゴルフは政治よりも雄弁であり、

誰かがどこかの国へ行って誰かとクラブを交えたほうが、

つまらない外交よりもはるかに大きな成果を挙げるのだった。

 

それにしても、彼が愛用したスラックスの色ときたら、

まるで絵具箱をぶちまけたようだった。

 

紫色、金色、ピンク、オレンジ、真紅、ブルーといったスラックスが

コースに登場するとは、彼が出現するまで誰にも想像出来なかった。

 

また彼が粋に羽織るコートにしても、

エメラルド、えび茶、すべてのチェック柄、ストライプ、水玉模様なのである。

 

彼はまた帽子に目がなかった。

 

ヨーロッパ各国から輸入したベレー帽、チロル帽、麦わら帽など、

ざっと1500個以上の帽子をとっ替えひっ替えあいようした。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

じっくりと前へ バーナード・ダーウィン(1934年) 〜(2)

 

第1回全英オープンが開催される以前から、

プレストウィックのわけの分からないコブだらけのフェアウェイとラフ、

判読不能としかいいようのないグリーン、

ことさら広くて深いバンカーは、無量のゴルファーを泣かせてきた。

 

ファイナルでのリトルは、慌てず騒がず、

複雑なコブを掌握した上で絶妙としかいいようもない

ランニングとピッチショットでグリーンを完璧に攻め立て、

相手がうなだれるほど見事なパッティングを次々に決めていった。

 

さらに印象的だったのが、前へ前へと進んでも一向に急がず、さりとて決して遅くもなく、

まるでメトロノームのように休みなく正確に歩き、球を打ち、そのすべてが完璧だった。

 

マッチプレーでは人間が相手とされるが、

あの日の彼はコースのパーを相手に究極のショットを重ね、

ジミー・ウォーレスは眼中にないようにさえ思えた。

 

これこそが理想的なマッチプレーの戦い方であり、

彼は自分の世界を築き、その世界の中で理想の実現に努力していたのだと思う。

 

その証拠に、いくつかのホールでは、まさかと思えるほど長い

ウォーレスのパットに対して「ギミー」(OK)を出していたからである。

 

まさに寛大で美しい光景だったが、リトルにはどうでもいい話だったのかもしれない。

彼は相手に何の注意も払っていなかった。

 

全神経の全てを傾けて限界までホールに集中する姿は、

何やら神々しくさえ思えてきた。

 

集中力が高まるにつれスコアはさらに縮まり、

ひたひたと前進する彼の偉大な姿ばかりが一層大きく見えて、

ついには難攻不落といわれたプレストウィックまでが箱庭に見えてきたのだった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

以上です。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

じっくりと前へ バーナード・ダーウィン(1934年) 〜(1)

 

印象としては、影絵のようにぼんやりとしているが、

淡い霧の中から現れたローソン・リトルの姿は巨大だった。

 

彼は生まれてこのかた、急いだことがないように思えた。

 

私が初めて彼を見たのは、プレストウィックで行われた全英アマ選手権のファイナル、

どのクラブであれ力一杯振られずにはいられないジミー・ウォーレスとの1戦だった。

 

この試合でのリトルは、

各ホールに0.5打のハンディを相手に与えたとしても楽勝したに違いない。

なにしろ23ホールが終了した時点で実に10アンダーの快スコアだった。

 

しかし数字などゴルフを測る1つの目安に過ぎない。

問題は中身なのだ。

 

彼が私に与えた印象は強烈だった。

 

それまで多くの試合を見、自分でも多くの試合を戦ってきたが、

プレストウィックでみたリトルほど凄みのある選手はいなかった。

 

まさにパワーと正確さの見本であり、ただ舌を巻くしかなかった。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年) 〜(5)

 

「スウィングとは、ボールを打つのに必要なこと以外、

何もしない単純動作を指す言葉だ」

 

彼はオーストラリアの新聞にコラムを書いたが、その担当記者によると、

自分が言いたいことについて見事なまでに正確、簡潔、流暢であり、

まるで優れた短編作家のように思えたそうだ。

 

およそプロの中で、このような才能を持った人はいないだろう。

 

私は、彼の試合の多くを観戦したが、

自分のプレーが少しだけ狂ったとしても、絶対に取り乱さない男だった。

 

冷静、沈着という言葉は彼のために用意されたようなものである。

 

1954年の終わり、セントアンドリュースで開催されたマッチプレー選手権の

決勝戦に進出した彼は、ジョン・ファロンと熾烈な戦いを演じた。

 

予想ではピーター・トムソンの圧勝とされていたが、

ファロンは見事なショットを続けてエキストラ・ホールまでもつれ込んだ。

 

トムソンのパットは惜しいところで入らず、

その瞬間、すべての幸運がトムソンからファロンに引っ越したように思えた。

 

彼に出来ることといったら、

ただじっと立って、相手の勝利のパッティングを見守るしかない。

 

ファロンは、それほど長くない距離を慎重に観察していた。

 

私はトムソンの様子を黙って眺めていたが、

彼はパターにもたれかかってギャラリーの様子をぐるりと眺め回すと、

何人かの知っている顔と遭遇したのだろう、彼が楽しそうに笑ったのである。

 

一瞬、私は自分の目を疑った。

 

相手のパットが入った瞬間、大きなタイトルと

途方もない金額が消えてしまうというのに、彼は心から楽しそうだった。

 

やがて打ったファロンのボールはふちで止まり、

2人はふたたび「スウィルカーン・ホール」に戻って、

プレーオフに臨むことになったが、私はもう後を追わなかった。

 

これ以上観戦する必要もないと感じたからである。

あの笑顔を見た時、彼が勝つと私には分かっていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

見てみたかったですね。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年) 〜(4)

 

1954年の全英オープンで見せた彼のプレーは、

まさにシンプソンの言葉通りだった。

 

もし、ある日の夕方、誰かが彼に会ったとしても、

そして彼がトーナメントの首位にいたとしても、

それがピーター・トムソンだと気づくまでに相当の時間がかかるだろう。

それほど彼は地味であり、常に寛いだ雰囲気が漂い、とても物静かな紳士だからである。

 

おそらく彼にとって、ゴルフは人生の究極の目的ではなく、

趣味として楽しんでいるところが余裕となって感じられるからだろう。

 

実際、彼は遊びでゴルフをしているような印象を与え、

ゴルフは他の価値ある行動のための副業のようにさえ思えた。

 

ゴルフについて語るとき、彼の態度は世界のトッププロではなく、

知的でユーモアに溢れ、観察力の鋭いアマチュアのようであった。

 

1954年から全英オープンに3連勝した後、58年と65年にも優勝、

他にもワールドカップに2回優勝、全豪オープンでも2回優勝しているが、

彼は誰かにレッスンをしたり、メンバーに仕えたりすることはなかった。

 

厳密な意味で彼はプロとは言えず、

むしろ澄み切った心に満たされたアマチュアに限りなく近かった。

 

レッスンなど、彼の人生設計の中には全く入っていなかったように思える。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


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