「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

あの小さな巨人 〜(2)

 

どのクラブであれ、感動的なほど見事なポイントは、

彼が言うところのヒッティングゾーンにある。

 

その瞬間、ヘッドは信じられないほど速く通過し、

ボールのど真ん中を打ち抜き、

ヘッドはすぐ上昇せず低く遠くまで走ってから、

ようやくフィニッシュに向かって美しく円を描くのであった。

 

彼の体内には信じられないほどのパワーが蓄えられていた。

もし本気で飛ばすつもりなら、

彼は570ヤードのロングホールを2打で乗せることも出来た。

 

しかし、リスクが伴うショットには意味がないと提唱する彼のこと、

無謀な攻めには常に消極的だった。

 

思い返してみると、彼はアイアンの名手であり、

とくにロングアイアンの正確さでは空前だったと気づくのである。

 

例えば全英オープンの72ホール目、

私は最終グリーンの後ろで彼のショットを見ていた。

 

左サイドのOBゾーンを巧みに避けながら、

彼は見事なショットをピンの右8ヤードのところにピタリと着地させた。

 

すると近くにいた誰かが言った。

「彼は今日、もの凄くショットが曲がっているではないか!」

 

それは冗談交じりの真実だった。

ピンから8ヤードも離れていれば、ベン・ホーガンにとってミスショットなのである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

凄い人が、いるもんですね。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

あの小さな巨人 バーナード・ダーウィン(1953年) 〜(1)

 

1953年、カーヌスティで行われた全英オープンに、

ようやくベン・ホーガンがやって来た。

 

そしてボビー・ジョーンズ、ウォルター・ヘーゲン、ジーン・サラゼンが

最初に試みて失敗した初参加、初優勝の快挙をやってのけたのだ。

 

彼が引きずってきた前評判はもの凄いものだった。

 

しかし、押しつぶされることもなく堂々とプレーしたが、

それでも最初の2ラウンドは重いグリーンに苛立って非常に不機嫌に見えた。

 

もっとも彼は、タッチが合うグリーンでプレーしても不機嫌そうに見える男だ。

 

やがて、彼の精緻なアイアンショットが与えてくれるチャンスが増えるに従って、

次第にパターが入り始めた。

 

我々はひそかにこう言ったものである。

「おい、小さな巨人のエンジンがかかり始めたぞ」

 

見たこともない人に、彼のスウィングの印象など伝えようもない話だが。

それでも若干のヒントなら書けるかもしれない。

 

ベン・ホーガンはかなりアップライトに立って、体重をやや左足寄りにかけ、

右足を少し後ろに引いていた。

 

全体の印象としてはフック打ちのゴルファーに見られる形である。

スウィングにはリズム感が満ち溢れて、まことにスムーズであり、

トップでのクラブの位置は、水平から少し通り過ぎているように見えた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

カラフルな親善大使 ダン・ジェンキンス(1970年) 〜(2)

 

その時、もし彼のポケットに現金さえあれば、即座に250ドルのコートを買い、

スラックスに125ドル支払っても惜しいと思わないのが彼である。

 

当時、その金額で即座に賃上げ闘争が解決できた時代だというのに、

途方もない話である。

 

しかも彼は、フランスやイタリアに淡い色彩の特別な生地を注文すると、

それをニューヨークの一流ブティックで仕立てさせた。

 

靴が欲しいとなると、自分のスラックスの生地見本を靴工場に送って、

その色とマッチする「サドル・オックスフォード」の靴を入念に作らせた。

 

お洒落は色彩だけにとどまらず、粋な言い回しも彼の独壇場だった。

 

あるときラジオのアナウンサーが彼に尋ねた。

「ツアープロの中で、最も精神的に平穏なレベルを保っている選手は誰でしょうか?」

 

すると彼は、およそ信じられないほど物事に逆上するプロ、クライトン・ヘフナーだと答えた。

「だって彼は四六時中、一定のボルテージで怒っているもの」

 

別な日、ある記者が彼に尋ねた。

「あなたはインバーネスで気むずかしいベン・ホーガンとペアを組みましたね。

その時彼は何かしゃべりましたか?」

「ああ、彼はたったの1回だけしゃべったよ。『お前なんか、どこかに消えちまえ』ってね」

 

正直なところ、デュマレのような男がもっといれば、ツアーもさらに活況を呈するのだが・・・。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

いろんな人が、いますね。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

カラフルな親善大使 ダン・ジェンキンス(1970年)

 

ジミー・デュマレが、プロゴルファーとしてよりも、

色ものに目がない男と自覚した時、

彼はアメリカのゴルフ界にとってかけがえのない親善大使となった。

 

ゴルフは政治よりも雄弁であり、

誰かがどこかの国へ行って誰かとクラブを交えたほうが、

つまらない外交よりもはるかに大きな成果を挙げるのだった。

 

それにしても、彼が愛用したスラックスの色ときたら、

まるで絵具箱をぶちまけたようだった。

 

紫色、金色、ピンク、オレンジ、真紅、ブルーといったスラックスが

コースに登場するとは、彼が出現するまで誰にも想像出来なかった。

 

また彼が粋に羽織るコートにしても、

エメラルド、えび茶、すべてのチェック柄、ストライプ、水玉模様なのである。

 

彼はまた帽子に目がなかった。

 

ヨーロッパ各国から輸入したベレー帽、チロル帽、麦わら帽など、

ざっと1500個以上の帽子をとっ替えひっ替えあいようした。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

じっくりと前へ バーナード・ダーウィン(1934年) 〜(2)

 

第1回全英オープンが開催される以前から、

プレストウィックのわけの分からないコブだらけのフェアウェイとラフ、

判読不能としかいいようのないグリーン、

ことさら広くて深いバンカーは、無量のゴルファーを泣かせてきた。

 

ファイナルでのリトルは、慌てず騒がず、

複雑なコブを掌握した上で絶妙としかいいようもない

ランニングとピッチショットでグリーンを完璧に攻め立て、

相手がうなだれるほど見事なパッティングを次々に決めていった。

 

さらに印象的だったのが、前へ前へと進んでも一向に急がず、さりとて決して遅くもなく、

まるでメトロノームのように休みなく正確に歩き、球を打ち、そのすべてが完璧だった。

 

マッチプレーでは人間が相手とされるが、

あの日の彼はコースのパーを相手に究極のショットを重ね、

ジミー・ウォーレスは眼中にないようにさえ思えた。

 

これこそが理想的なマッチプレーの戦い方であり、

彼は自分の世界を築き、その世界の中で理想の実現に努力していたのだと思う。

 

その証拠に、いくつかのホールでは、まさかと思えるほど長い

ウォーレスのパットに対して「ギミー」(OK)を出していたからである。

 

まさに寛大で美しい光景だったが、リトルにはどうでもいい話だったのかもしれない。

彼は相手に何の注意も払っていなかった。

 

全神経の全てを傾けて限界までホールに集中する姿は、

何やら神々しくさえ思えてきた。

 

集中力が高まるにつれスコアはさらに縮まり、

ひたひたと前進する彼の偉大な姿ばかりが一層大きく見えて、

ついには難攻不落といわれたプレストウィックまでが箱庭に見えてきたのだった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

以上です。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

じっくりと前へ バーナード・ダーウィン(1934年) 〜(1)

 

印象としては、影絵のようにぼんやりとしているが、

淡い霧の中から現れたローソン・リトルの姿は巨大だった。

 

彼は生まれてこのかた、急いだことがないように思えた。

 

私が初めて彼を見たのは、プレストウィックで行われた全英アマ選手権のファイナル、

どのクラブであれ力一杯振られずにはいられないジミー・ウォーレスとの1戦だった。

 

この試合でのリトルは、

各ホールに0.5打のハンディを相手に与えたとしても楽勝したに違いない。

なにしろ23ホールが終了した時点で実に10アンダーの快スコアだった。

 

しかし数字などゴルフを測る1つの目安に過ぎない。

問題は中身なのだ。

 

彼が私に与えた印象は強烈だった。

 

それまで多くの試合を見、自分でも多くの試合を戦ってきたが、

プレストウィックでみたリトルほど凄みのある選手はいなかった。

 

まさにパワーと正確さの見本であり、ただ舌を巻くしかなかった。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年) 〜(5)

 

「スウィングとは、ボールを打つのに必要なこと以外、

何もしない単純動作を指す言葉だ」

 

彼はオーストラリアの新聞にコラムを書いたが、その担当記者によると、

自分が言いたいことについて見事なまでに正確、簡潔、流暢であり、

まるで優れた短編作家のように思えたそうだ。

 

およそプロの中で、このような才能を持った人はいないだろう。

 

私は、彼の試合の多くを観戦したが、

自分のプレーが少しだけ狂ったとしても、絶対に取り乱さない男だった。

 

冷静、沈着という言葉は彼のために用意されたようなものである。

 

1954年の終わり、セントアンドリュースで開催されたマッチプレー選手権の

決勝戦に進出した彼は、ジョン・ファロンと熾烈な戦いを演じた。

 

予想ではピーター・トムソンの圧勝とされていたが、

ファロンは見事なショットを続けてエキストラ・ホールまでもつれ込んだ。

 

トムソンのパットは惜しいところで入らず、

その瞬間、すべての幸運がトムソンからファロンに引っ越したように思えた。

 

彼に出来ることといったら、

ただじっと立って、相手の勝利のパッティングを見守るしかない。

 

ファロンは、それほど長くない距離を慎重に観察していた。

 

私はトムソンの様子を黙って眺めていたが、

彼はパターにもたれかかってギャラリーの様子をぐるりと眺め回すと、

何人かの知っている顔と遭遇したのだろう、彼が楽しそうに笑ったのである。

 

一瞬、私は自分の目を疑った。

 

相手のパットが入った瞬間、大きなタイトルと

途方もない金額が消えてしまうというのに、彼は心から楽しそうだった。

 

やがて打ったファロンのボールはふちで止まり、

2人はふたたび「スウィルカーン・ホール」に戻って、

プレーオフに臨むことになったが、私はもう後を追わなかった。

 

これ以上観戦する必要もないと感じたからである。

あの笑顔を見た時、彼が勝つと私には分かっていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

見てみたかったですね。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年) 〜(4)

 

1954年の全英オープンで見せた彼のプレーは、

まさにシンプソンの言葉通りだった。

 

もし、ある日の夕方、誰かが彼に会ったとしても、

そして彼がトーナメントの首位にいたとしても、

それがピーター・トムソンだと気づくまでに相当の時間がかかるだろう。

それほど彼は地味であり、常に寛いだ雰囲気が漂い、とても物静かな紳士だからである。

 

おそらく彼にとって、ゴルフは人生の究極の目的ではなく、

趣味として楽しんでいるところが余裕となって感じられるからだろう。

 

実際、彼は遊びでゴルフをしているような印象を与え、

ゴルフは他の価値ある行動のための副業のようにさえ思えた。

 

ゴルフについて語るとき、彼の態度は世界のトッププロではなく、

知的でユーモアに溢れ、観察力の鋭いアマチュアのようであった。

 

1954年から全英オープンに3連勝した後、58年と65年にも優勝、

他にもワールドカップに2回優勝、全豪オープンでも2回優勝しているが、

彼は誰かにレッスンをしたり、メンバーに仕えたりすることはなかった。

 

厳密な意味で彼はプロとは言えず、

むしろ澄み切った心に満たされたアマチュアに限りなく近かった。

 

レッスンなど、彼の人生設計の中には全く入っていなかったように思える。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年) 〜(3)

 

16番のバーディーの後、17番もパーでホールアウトすると、

いよいよ最終ホールに臨んだが、やはりプレッシャーにはあがなえず、

1、2打ともジグザグ行進になってしまった。

 

2打めはグリーンから100ヤード以上も離れた丘の上にあって、

私が立っている場所から彼の姿は見えなかった。

 

とても長い時間が流れたように思えた。

 

やがて丘の彼方から音もなく白球が舞い上がると、

随分上空に留まったあと、ゆっくりとピンの1m以内に落下したのだった。

 

上気した彼が私の横を通り過ぎようとしたとき、

私は見事な4打のホールアウトを称賛した。

 

すると彼は、ふたたびこのように言ったのである。

「あの場所ですばらしいライに恵まれるとは、なんてラッキーなんだろう」

 

ピーター・トムソンは、

一流のゴルファーなら絶対に口にしないことを平気でしゃべる男である。

私たちゴルフ・ジャーナリストにとって、およそ聞きなれないことを言うのだった。

 

自己弁護は誰もが常に用意しているものだが、

特にいいショットは自分の手柄、

悪いショットは何かに責任転嫁するのが常套手段である。

 

ところが彼は球史に残るほどのスーパーショットを放ってさえ、

いつだってライが良かった、ラッキーだった、僕は幸運な男というだけで、

ただの一度も不運を嘆いたことがないのである。

 

不朽の名著「The Art of Golf」の著者、

サー・ウォルター・シンプソンは次のように書いた。

「チャンピオンの資格とは、

運の良さを最大限に生かし、悪い時にベストを尽くす能力の有無をいう」

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

なかなか、こうはいきませんね。

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年) 〜(2)

 

トムソンは最後の3ホール、平均4打でホールアウトしなければならなかった。

 

16番は長く、2打で乗せるのが不可能なロングホールであり、

17番はショートホール、

そして最終ホールはミドルアイアンでグリーンを狙う局面だった。

 

もし彼が16番でバーディーさえ奪えれば、

初優勝の可能性は50%以上になると私は考えていた。

驚いたことに、彼は1mmの狂いもなく正確に、それをやってのけたのである。

 

彼の2打めは左にある2つのバンカーのうち、

ピンから30ヤードの位置にある難しい方に吸い込まれてしまった。

 

ところが無造作に、

なんとピンの60cmに寄せてなんなくバーディーを奪ったのだった。

 

ライバルが戦意を失うほど簡単に見えた。

彼のゴルフは常に「簡単」なのである。

 

砂を深く取り過ぎたり、浅く打ち過ぎたり、

どのゴルファーにも起こりがちなトラブルとは無縁だった。

必要とあらば、瞬時に正確なショットをやってのけ、表情ひとつ変えなかった。

 

あとになって、私は彼にあのバンカーショットについて尋ねた。

 

彼はいつも言葉を尽くして質問に答えてくれるタイプの男であり、

しかも発言は常に私を感動させた。

 

「あのバンカーの美しいライは、忘れたことがない。あれ以上やさしい場所はないだろう。

砂の表面は美しくて少しアップヒルライだった。誰が打ってもうまくいくライだと思うよ。

優勝するときには、決まってあのように運がいいものさ」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


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