「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

商売上手のチャンピオン ハーブ・グラフィス(1975年) 〜(6)

 

1930年代にはウォルター・ヘーゲンと並んで彼の時代が到来した。

 

メジャーで勝ってトップの地位に到達したが、

それでも自分の名前が新聞の見出しを飾るためなら、

自由の女神のトーチから素っ裸で飛び降りるだろうと書いたゴルフ作家もいる。

 

物理的に彼のスウィングは決して美しくなかった。

しかし、己を語ったり書いたりするときの形容詞は流麗だった。

 

ある冬、彼は雑誌記者に革命的なアイデアがあると電話した。

「トーナメントのカップの口径を、8インチの大きさに広げたらどうだろう?」

 

つまり、現在の倍の大きさにすることでゴルフがやさしくなり、

誰でも優勝することが出来るというのが彼の考えだった。

 

ところが、この話が雑誌に載ると非難ごうごう、

神聖なるゲームに対する冒瀆だと新聞までが書き立てた。

すると利口な彼、あれは単なるジョークだとすり抜けた。

 

結局のところ、

ゴルフがテレビのCMも含めて多角的な商売になり得ると証明したことでも、

サラゼンは最初の人物である。

 

それはマスターズでの劇的なアルバトロスの影に隠れてしまったが、

彼は本物のイタリア系ビジネスマンの典型なのだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

でした。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

商売上手のチャンピオン ハーブ・グラフィス(1975年) 〜(5)

 

やがてアルは、サラゼンの強さに感心して、

ブリッジポートで最も人気の高いクラブ、ブルックローンに彼を推挙した。

 

そこのプロ、ジョージ・スパーリングはむっつりしたスコットランド人だったが、

たちまちサラゼンの才能を見抜いて、自分のアシスタントに任命した。

 

もしサラゼンが成功した秘密の一つを挙げるならば、

彼は一緒にプレーしたメンバーやゲストに対して、

必ず丁重に感謝の手紙を投函したことだろう。

 

これは画期的なことであり、とくに上流階級のメンバーたちは彼の礼儀正しさに感心して、

次から贔屓にしてくれたのだった。

 

このころから彼は自分を売り込む最高のセールスマンであり、

マネージャーの必要がないプロだった。

 

次第に頭角を現した彼は、依然として手紙と電話によるコミュニケーションに熱中し、

ゴルフ以外の時間は手紙書きに費やされた。

 

現実主義者のトミー・アーマーに言わせると、

「何もしてくれない人と、サラゼンが5分以上話す姿など見たこともない」

 

それから、このようにも言った。

「決して悪いことではない。私にも彼の真似が出来たらと思う」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

商売上手のチャンピオン ハーブ・グラフィス(1975年) 〜(4)

 

過酷な労働条件下での長時間作業によって、

サラゼンは肺炎をこじらせ、臨終の儀式を行うために牧師までが呼ばれた。

 

そこから奇跡的に生き延びると、折から大戦に終止符が打たれる時期と重なり、

いよいよゴルフに人生を賭けようと決意する。

 

彼はキャディ時代に知り合ったアル・キーチのいる

コネチカット州のブリッジポートGCに出掛けて行く。

 

そこは9ホールだけの牧場と隣り合わせたコースだった。

給料がもらえないので、彼は賭けゴルフで暮らすしか方法がなかった。

 

ずんぐりした体躯から信じられないほど遠くまでボールを飛ばし、

とくにバンカーとパッティングに天与の才を持つ彼は、負け知らずだった。

 

アルは基本を手ほどきしようと試みたが、サラゼンは自分の流儀を崩さなかった。

 

なにしろスコットランドとアイルランドの出身者たちがプレーする現場に立ち会い、

自分の目で盗んだ秘伝である。

 

彼はそれが正しいと信じていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

商売上手のチャンピオン ハーブ・グラフィス(1975年) 〜(3)

 

キャディマスターのジョージ・ヒューズはアイルランド人であり、

サラゼンに好意を持っていたとはお世辞にも言えなかった。

 

ところが1番ティで客と会うなり、

たちまち皆を笑わせてしまうサラゼンの才覚を認めないわけにはいかなかった。

 

彼が述懐したところによると、おかしなイタリア少年の将来について、

多分、エド・サリバン・ショーあたりに出演する漫才師になるだろうと考えたそうだ。

 

彼が15歳を迎えても、家計は一向楽にならなかった。

 

そこで一家の暮らしを助けるために、第1次世界大戦のあいだ、

彼は近くの工場に勤めて、日に15時間も働き続けた。

 

父親は博学だったが新天地アメリカと馴染まず、職にありつけなかった。

母親は近所でも評判の聡明な女性で、

彼女のシチューと微笑みは比類ないと誰もが口を極めた女性である。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

商売上手のチャンピオン ハーブ・グラフィス(1975年)〜(2)

 

それでも、彼がキャディとして身をたてるまで、平穏ではなかった。

 

ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアの一帯では、

乱暴で腕っぷしの強いアイルランド系の子どもたちがキャディの縄張りを独占してきた。

イタリア系の本名ユージン・サラチェーニ少年が割り込む余地など、どこにもなかった。

 

当時、ラーチモンドCCのプロ兼キャディマスターを勤めていたフレッド・ビセリは、

度量の広い男だった。

 

彼は利発で人の言うことをよく聞き、マメに仕事をこなす少年ならば、

国籍を問わず誰にでもチャンスを与えようと考えていた。

 

彼の弟が、わずか8歳になったばかりのイタリア系少年に、

とても利口な子がいるので面倒を見てやってほしい、と口添えしてきた。

 

少年はハリソンから40分もトロッコ列車に乗ってやってくると、

1910年からキャディとして働きはじめた。

 

9ホールしかなかったラーチモンドCCでは、客の数も限られていた。

 

3年間、彼は必死になって働いたが、

ただの1度もポケットがチップで膨らんだなんてことはなかった。

 

そこでライにあるアパワミス・クラブが、

ゴルファーの数も多くて経済的にも恵まれると聞いて、

そこに移籍すると、メンバーのために早朝から深夜まで献身的に働き続けた。

 

時計、メガネなどの忘れ物があると、

2時間も夜道を歩いてメンバーの家まで届けたことも再三だった。

 

さらに彼は、この頃からゴルフの面白さに取り憑かれて、

暇さえあればメンバーが捨てた古いクラブとロストボールを集め、

猛烈にボールを打ち始めた。

 

それでも練習時間が足りず、

ハリソンのイタリア人居住区にある自宅からコースまでの7キロの道のりを、

1日とて休まずボールを打ちながら往復したのだった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

商売上手のチャンピオン ハーブ・グラフィス(1975年) 〜(1)

 

ウェストチェスター・カントリークラブが主宰する「キャディ養成所」出身者の中で、

ジーン・サラゼンほど有名になった男はいない。

 

彼の出現によって、キャディの存在に大きな意味が生まれたと同時に、

この仕事に関心を持つ若者までが急増したのである。

 

同時代のウォルター・ヘーゲンが、彼独特のスタイルで伝説的人物になったように、

ずんぐりしてめっぽう元気のいいサラゼンは、トレードマークのニッカ―ボッカ―と、

たとえ嵐の中であろうと胸を張って豆タンクのように突進するスタイルで自らの伝説を築いていった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

法王と猊下サム フレッド・コーコラン(1965年)

 

ヨーロッパ大旅行の帰路、ローマに立ち寄って、

今は亡きヨハネ法王に謁見することになった時、私は冗談でサムに言った。

 

「パターを持参して、神の祝福を与えてもらったらどうだい?

2mの複雑なラインも目じゃないぜ」

 

私の言葉に、

とかくパッティングに問題の多いサム・スニードが飛びついたのだから愉快だ。

 

セントピーター寺院の聖堂内特別室で、

法王と謁見したときのサムの様子を私はいまでも思い出す。

 

彼の全身は鉄で出来た人形のようにぎこちなく硬直し、

彼の眉毛は飛び上がって脳天まで達していた。

 

本当にサムは、自分のクラブと共に謁見したのである。

 

やがてゴルフの話から、法王が100も切れないゴルファーだと判明して、

しかも、自分のスウィングとパッティングについて、サムに懺悔までしたのだから驚いた。

 

サムは深くため息をつき、クラブを持って車に戻ると、

この世に神も仏もあるものかと言った口調で呟いた。

 

「肝心のお人が100も切れないなんて、私のために何も出来っこないじゃないか」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

なるほど・・・ですね。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

サミーと出会った日 チャールズ・プライス(1982年) 〜(3)

 

グリーンまで残り約80ヤード。

 

彼はジョン・ウェインのような歩き方でやってくると、

両手を腰に当てて状況を観察した。

 

そのあとから、まるで博物館から借りてきたような大きなキャディバッグをさげて、

キャディが息を切らせながら到着した。

 

手を伸ばせばサミーに触れられる近さの所にいた私は、

興奮して息が詰まりそうだった。

 

その時代、まだピッチングウエッジが使われていないこともあって、

彼は無造作に大きなキャディバグからサンドウエッジを取り出すと、

とてもやわらかくリズミカルにアドレスして、肩越しにチラッと旗竿を眺め、

それから大き過ぎるほどのフォワードプレスのあと、

クラブが持ち上げられて柔らかくパンチショットが行なわれた。

 

その音はヴェートーベンが作曲したすべての交響曲のクライマックスばかり集めたほど、

私の耳には強烈だった。

 

打たれたボールは美しい放物線を描き、頂点に達したとき、

青空に白点だけ描いた1枚の絵を見るように思えた。

 

ボールはピンの方向に吸い寄せられ、落下して小さく跳ねると、

ピンから1m以内の至近距離にピタリと停止した。

 

それまでの歳月、私は自分の家の裏庭で27回も全米オープンを開催し、

27回も優勝してきたが、

その私にして夢にさえ現れない美しいショットがこの世に存在するとは、本当に驚きだった。

 

・・・・・・・・・・・・・

 

以上です。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

サミーと出会った日 チャールズ・プライス(1982年) 〜(2)

 

やっと私の前に現れたサミーは、想像以上のゴルファーであり、

周囲が息苦しくなるほどの貫禄に満ちていた。

 

その試合はワシントン近くのコングレッショナル・オールドコースで行われたが、

翌日から開催される1939年度全米オープンの予選会の前に、

4人の名選手によるエキジビション・マッチとして切符が売られ、

私の父がようやく手に入れたものだった。

 

試合はロングヒッターのジミー・トムソンとパッティングの名手、ホートン・スミス、

コース所属のプロ、ウィフィー・コックス、そして憧れのサミーが出場していた。

 

かなり早く到着したにもかかわらず、押し寄せた大観衆の車が溢れて駐車がままならず、

ようやく父が1台分の面積を確保したのが1番グリーンの近くだった。

 

私は車から飛び出すと大人の間をすり抜け、ラフに這い出た。

と、すぐ近くにボールが光っていた。

 

当時のコングレッショナルの1番は距離のあるロングホールだった。

幸運なことに、そのボールがサミーの3打めだった。

 

つまり私は1、2打を見ることが出来なかったわけである。

ずんずんやってくるサミーの姿は、滑らかに走る戦車のように見えた。

 

白い鹿革の靴にクリーム色のスラックス、白いシャツに派手なネクタイを結び、

当時はまだストローハットではなくて、かんかん帽に似た白い帽子をかぶっていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

サミーと出会った日 チャールズ・プライス(1982年) 〜(1)

 

そのころ、誰もが彼のことをサミーと呼んだ。

 

どうやら新聞には、本名を使わずニックネームですましたがる風潮があって、

各紙とも「スラミング・サミー」と見出しをつけて、本文中だけサム・スニードと書いた。

 

スーパースターには、何か特別な雰囲気がある。

私は「ゴージャス」と呼んでいるが、サミーには人と違う輝きがあった。

 

たとえば彼の足取りは、獲物の匂いを嗅ぎつけたアメリカ・ライオンのように、

しっかりと着実に一歩一歩、腰から真っ直ぐ踏み出していくのだった。

 

彼は2m近い看板を苦も無く蹴り上げ、

寸分も膝を曲げないでカップの底からボールを拾いあげた。

 

誰かだ曲芸師のように二重関節の持ち主だと言ったが、

そうでなく、彼の全身はゴージャスに出来ているのだ。

 

12歳になっても、私はサミーのプレーを見る機会に恵まれなかった。

 

それでも新聞か何かでスウィング写真を見て、何時間も真似に耽ったものである。

ようやく実物が見られるという前の晩は、なかなか寝付けなかった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


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