「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

サミーと出会った日 チャールズ・プライス(1982年) 〜(3)

 

グリーンまで残り約80ヤード。

 

彼はジョン・ウェインのような歩き方でやってくると、

両手を腰に当てて状況を観察した。

 

そのあとから、まるで博物館から借りてきたような大きなキャディバッグをさげて、

キャディが息を切らせながら到着した。

 

手を伸ばせばサミーに触れられる近さの所にいた私は、

興奮して息が詰まりそうだった。

 

その時代、まだピッチングウエッジが使われていないこともあって、

彼は無造作に大きなキャディバグからサンドウエッジを取り出すと、

とてもやわらかくリズミカルにアドレスして、肩越しにチラッと旗竿を眺め、

それから大き過ぎるほどのフォワードプレスのあと、

クラブが持ち上げられて柔らかくパンチショットが行なわれた。

 

その音はヴェートーベンが作曲したすべての交響曲のクライマックスばかり集めたほど、

私の耳には強烈だった。

 

打たれたボールは美しい放物線を描き、頂点に達したとき、

青空に白点だけ描いた1枚の絵を見るように思えた。

 

ボールはピンの方向に吸い寄せられ、落下して小さく跳ねると、

ピンから1m以内の至近距離にピタリと停止した。

 

それまでの歳月、私は自分の家の裏庭で27回も全米オープンを開催し、

27回も優勝してきたが、

その私にして夢にさえ現れない美しいショットがこの世に存在するとは、本当に驚きだった。

 

・・・・・・・・・・・・・

 

以上です。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

サミーと出会った日 チャールズ・プライス(1982年) 〜(2)

 

やっと私の前に現れたサミーは、想像以上のゴルファーであり、

周囲が息苦しくなるほどの貫禄に満ちていた。

 

その試合はワシントン近くのコングレッショナル・オールドコースで行われたが、

翌日から開催される1939年度全米オープンの予選会の前に、

4人の名選手によるエキジビション・マッチとして切符が売られ、

私の父がようやく手に入れたものだった。

 

試合はロングヒッターのジミー・トムソンとパッティングの名手、ホートン・スミス、

コース所属のプロ、ウィフィー・コックス、そして憧れのサミーが出場していた。

 

かなり早く到着したにもかかわらず、押し寄せた大観衆の車が溢れて駐車がままならず、

ようやく父が1台分の面積を確保したのが1番グリーンの近くだった。

 

私は車から飛び出すと大人の間をすり抜け、ラフに這い出た。

と、すぐ近くにボールが光っていた。

 

当時のコングレッショナルの1番は距離のあるロングホールだった。

幸運なことに、そのボールがサミーの3打めだった。

 

つまり私は1、2打を見ることが出来なかったわけである。

ずんずんやってくるサミーの姿は、滑らかに走る戦車のように見えた。

 

白い鹿革の靴にクリーム色のスラックス、白いシャツに派手なネクタイを結び、

当時はまだストローハットではなくて、かんかん帽に似た白い帽子をかぶっていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

サミーと出会った日 チャールズ・プライス(1982年) 〜(1)

 

そのころ、誰もが彼のことをサミーと呼んだ。

 

どうやら新聞には、本名を使わずニックネームですましたがる風潮があって、

各紙とも「スラミング・サミー」と見出しをつけて、本文中だけサム・スニードと書いた。

 

スーパースターには、何か特別な雰囲気がある。

私は「ゴージャス」と呼んでいるが、サミーには人と違う輝きがあった。

 

たとえば彼の足取りは、獲物の匂いを嗅ぎつけたアメリカ・ライオンのように、

しっかりと着実に一歩一歩、腰から真っ直ぐ踏み出していくのだった。

 

彼は2m近い看板を苦も無く蹴り上げ、

寸分も膝を曲げないでカップの底からボールを拾いあげた。

 

誰かだ曲芸師のように二重関節の持ち主だと言ったが、

そうでなく、彼の全身はゴージャスに出来ているのだ。

 

12歳になっても、私はサミーのプレーを見る機会に恵まれなかった。

 

それでも新聞か何かでスウィング写真を見て、何時間も真似に耽ったものである。

ようやく実物が見られるという前の晩は、なかなか寝付けなかった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

笑わない男、ヘンリー・コットン ステファン・ポッター(1968年) 〜(2)

 

彼は、いかにして成功を手に入れたのだろうか。

 

それは生まれつきの無表情に加えて、まじめな性格、神経質、異常な潔癖、

すべてにシンメトリックな安定を求める性癖、そしてゴルフに対する畏敬の念、

これらが絶妙に絡み合って「笑わない男」が完成されたのである。

 

彼にはだらしのないところなど微塵もなかった。

 

頭髪は10日に1度通う床屋によって見事に整えられ、ヒゲは日に2度も剃られ、

彼の衣服も頭髪と同じくらいに綺麗に仕上げられていた。

 

高級な衣服を身に着けたのはヘーゲンの影響だろうが、

コットンに言わせると、身だしなみの良さがプロの地位向上に役立つと主張した。

 

ついに彼はヘーゲンが好んだ白黒コンビのスタイルを、自分の日常生活の中にまで持ち込み、

ゴルフをしない時でも彼の着る物は白黒も組み合わせばかりだった。

 

このスタイルで暮らしながら笑わない男といったら、

冠婚葬祭屋でもお目出度くないほうの部署で働く者と見られても仕方がないだろう。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

でした。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

笑わない男、ヘンリー・コットン ステファン・ポッター(1968年)

 

ゴルファーとして最も成功した1人、ヘンリー・コットンはまた、

巧妙な勝負師としても成功した人物である。

 

彼の戦略は絶妙であって、

ゴルフのみならず人生でも役立つものだと私は思っている。

 

「笑い禁止戦術」とでも名付けたい彼の編み出した戦法は、

まずコースにやってくると、いかなる動作であれ真剣そのもの、

わき目もふらずに初志貫徹の強い意志を全身にみなぎらせ、

ニコリともせずゲームからユーモアのセンスの1滴まで抹殺すると、

聖書の複写にいそしむ牧師のようにプレーする。

 

グリーン上でもティグラウンドでも、相手がこけても赤ん坊とすれ違っても、

何があろうと彼はまったく笑わない。

 

この場合、笑わないことが不機嫌に思われる心配はない。

ゴルフに宿る真剣な部分に没頭していると周囲の目には映るからだ。

 

事実、本格派のゴルファーになるほど安易に笑わないものである。

ゲームを観戦する側からすると、猛烈に集中している印象が強く、好ましくさえ思える。

 

コットンの戦術は大成功だった。

 

多くのマスコミがいい加減にプレーする世のゴルファーに対して、

「コットンを手本にせよ」と書いたのだから。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

巨匠ヘンリー・コットン ヘンリー・ロングハースト(1970年) 〜(2)

 

謹厳実直なコットンの中に、放蕩で知られるヘーゲンが

アイドルとして住み着いていたのだから不思議としか言いようがない。

 

ヘーゲンの影響によって、

彼は自分を一種のかけがえのない「財産」と見なすようになった。

 

そこでトーナメント中は最高のコンディションを維持するため、

常に最高級のホテルに泊まり、他人が吐き出す煙草の煙を吸わないように、

他人に会って神経を使わないように、おべんちゃらと遭遇してイライラしないように、

ゲームが終わってもクラブハウスに寄らず、

車の中で着替えると一目散にホテルに戻るのだった。

 

一時期、彼はヘーゲンになり代わっていたともいえる。

こうした行動が誤解されて、

普通の人とは違う貴族趣味の持ち主だと思われた時代もあった。

 

彼はスウィングの革命者の1人と言える。

 

とくに両腕の力をつけるため、さらには左サイドの壁を完璧にするため、

古タイヤを持ち出してクラブで叩く方法も考案した。

 

左腕1本でボールを打つ練習にも熱心だったが、

おそらく左腕だけで200ヤードも飛ばした者は彼以外いないだろう。

 

そうした地味な練習が実って、

コットンの打球は比類なく美しい軌跡を描くようになった。

 

それはもう、人間が作りうる究極の放物線としかいいようもないほど美しく、

永久に忘れられないものの一つとして、今でも瞼に焼き付いている。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 


ゴルフ大全(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

巨匠ヘンリー・コットン ヘンリー・ロングハースト(1970年) 〜(2)

 

コットンが有名になった原因の一端は、アメリカにあると私は思っている。

1928年、21歳の彼は自分で切符代を工面してアメリカに向けて出航した。

 

懐には300ポンドの生活費が入っていたが、

結局、その金にはまったく手をつけずに帰国したのだ。

 

アメリカでは、いいゲームをすることで貴族のように扱われ、

かつ大金を懐にすることが出来た。

ところがイギリスでは、スポーツで名を成しても特別な地位など与えられなかった。

 

アメリカのウォルター・ヘーゲンが大西洋を渡って全英オープンにやってくると、

最高級ホテル、サボイのスウィートルームに泊まり、

ロールスロイスを借り切ってコースまで往復し、これ以上ない贅沢三昧の日々を送ったが、

コットンから見ると、彼に出来るなら自分にも出来ると思ったのだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


ゴルフ大全(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

巨匠ヘンリー・コットン ヘンリー・ロングハースト(1970年)

 

私がこれまでに目撃したショットの中で、目に焼き付いて離れない弾道があるとすれば、

それはヘンリー・コットンが放った見事な球筋の数々である。

 

私は伝説の巨人、ハリー・バードンのプレーを見て楽しむに十分な年齢に達していたが、

それでもバードンのパワーを正しく評価できるほど大人ではなかった。

 

従って、私が見たプロの中ではヘンリー・コットンが最高であり、

1930年代のコットン以上に偉大なゴルファーが存在したとは、今でも思っていない。

 

しかも彼は、11年間にわたってアメリカが支配し続けた全英オープンを、

ようやく自国に取り戻しただけでなく、

イギリスにおけるプロの地位まで一挙に高めたのである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

 

悲劇の天才、マクドナルド・スミス トミー・アーマー(1935年) 〜(5)

 

彼ほど偉大な人物が、レッスン書も出版せず、

ゴルフ雑誌のインタビュー記事にすら登場しなかったのは、

実は彼の神秘的に美しいスウィングが誰にも真似のできないものであり、

誰にも書くことが出来なかったというのが正しい理由だろう。

 

もし私たちがマックのようにボールを打ったならば、

世界中のコースにディボット跡が一つも残らないと断言できる。

彼はコースの芝を教会の祭壇に敷かれた絨毯のごとく扱ってきた。

 

何かの機会に、私は偉大なるマクドナルド・スミスの話を残しておきたかった。

 

彼の人格の高潔さ、高邁なる生き方、清澄な心について語っておかなければ、

やがて忘れ去られるのが人の定めだからである。

 

誰かが書き留めなければ、あの天才的なスウィングも讃えられることがなく、

ただ単にナショナル大会で挫折した1人の選手として記録されるに過ぎない。

 

オープン・チャンピオンであろうとなかろうと、

マックこそ真のチャンピオンとして威厳を持ち続けた男であり、

誰もが彼から王者の威厳を感じて、きっと尊敬するのだった。

 

もしナショナル大会で優勝するためには、運よりも実力が必要だという者がいたならば、

私はその男にパンチをお見舞いするだろう。

 

それはゴルフという意地悪なゲームの本質を知らない愚か者の発言であり、

ナショナル大会でなくても、試合に勝つためには山ほどの運が必要とされるのだ。

 

偉大なるマックには、ほんの少しだけ運が不足していたのだと思う。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

おしまいです。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

悲劇の天才、マクドナルド・スミス トミー・アーマー(1935年) 〜(4)

 

プレストウィックで行われた1925年の全英オープン最終日には、

空前のギャラリーが押し寄せた。

 

その数3万人ともいわれるが、

その誰もがマックの優勝の瞬間を見るために駆け付けたのだった。

 

彼は前日まで断然リードしていた。

ところが半狂乱のギャラリーはマックのホールアウトが待ちきれず、彼を押しつぶしてしまった。

これから打つべきフェアウェイまで人の波で埋まり、彼は呼吸すらできなかった。

 

恐ろしいことに彼は「82」も叩いて優勝戦線から脱落したのである。

 

サンタクロースよりやさしい彼は、ギャラリーを恨んだりはしなかった。

自分が弱いから、だから勝てなかったと苦笑しただけである。

 

勝負の女神に翻弄され続けて、彼はさらに奥行きの深い男になった。

心に傷のある人間ほど他人の痛みにも理解がいくように、彼は誰にでも優しかった。

 

とりわけ若い選手が失敗したとき、彼は慈父のような眼差しで見守り、そして言った。

「ゴルフとは、失敗するほど強くなるゲームだよ」

 

暴徒と化した数万のギャラリーが、マックからタイトルを奪ったと新聞が書いたとき、

彼は次のようにコメントした。

「そんなことはない!」

 

誰もが彼の芸術的なスウィングを真似ようと努力した。

 

どこにも力んだところがなく、それは作家のスコット・テスホルムが書いたように、

マックスウェルトンの山脈の優雅な曲線の如く芸術的であり、

紺碧の空を飛翔する純白のカモメの如く優雅であり、

全体として端正な貴婦人の踊る姿にも似て、見る者すべてをうっとりさせたが、

これこそが天性であって誰にも真似が出来なかった。

 

私も何度か彼のように打とうとしたが、すぐにあきらめてしまった。

マック以外の誰かがクラブを振ると、必ずどこかに力が入ってしまうからである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


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