「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

巨匠ヘンリー・コットン ヘンリー・ロングハースト(1970年) 〜(2)

 

謹厳実直なコットンの中に、放蕩で知られるヘーゲンが

アイドルとして住み着いていたのだから不思議としか言いようがない。

 

ヘーゲンの影響によって、

彼は自分を一種のかけがえのない「財産」と見なすようになった。

 

そこでトーナメント中は最高のコンディションを維持するため、

常に最高級のホテルに泊まり、他人が吐き出す煙草の煙を吸わないように、

他人に会って神経を使わないように、おべんちゃらと遭遇してイライラしないように、

ゲームが終わってもクラブハウスに寄らず、

車の中で着替えると一目散にホテルに戻るのだった。

 

一時期、彼はヘーゲンになり代わっていたともいえる。

こうした行動が誤解されて、

普通の人とは違う貴族趣味の持ち主だと思われた時代もあった。

 

彼はスウィングの革命者の1人と言える。

 

とくに両腕の力をつけるため、さらには左サイドの壁を完璧にするため、

古タイヤを持ち出してクラブで叩く方法も考案した。

 

左腕1本でボールを打つ練習にも熱心だったが、

おそらく左腕だけで200ヤードも飛ばした者は彼以外いないだろう。

 

そうした地味な練習が実って、

コットンの打球は比類なく美しい軌跡を描くようになった。

 

それはもう、人間が作りうる究極の放物線としかいいようもないほど美しく、

永久に忘れられないものの一つとして、今でも瞼に焼き付いている。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 


ゴルフ大全(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

巨匠ヘンリー・コットン ヘンリー・ロングハースト(1970年) 〜(2)

 

コットンが有名になった原因の一端は、アメリカにあると私は思っている。

1928年、21歳の彼は自分で切符代を工面してアメリカに向けて出航した。

 

懐には300ポンドの生活費が入っていたが、

結局、その金にはまったく手をつけずに帰国したのだ。

 

アメリカでは、いいゲームをすることで貴族のように扱われ、

かつ大金を懐にすることが出来た。

ところがイギリスでは、スポーツで名を成しても特別な地位など与えられなかった。

 

アメリカのウォルター・ヘーゲンが大西洋を渡って全英オープンにやってくると、

最高級ホテル、サボイのスウィートルームに泊まり、

ロールスロイスを借り切ってコースまで往復し、これ以上ない贅沢三昧の日々を送ったが、

コットンから見ると、彼に出来るなら自分にも出来ると思ったのだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


ゴルフ大全(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

巨匠ヘンリー・コットン ヘンリー・ロングハースト(1970年)

 

私がこれまでに目撃したショットの中で、目に焼き付いて離れない弾道があるとすれば、

それはヘンリー・コットンが放った見事な球筋の数々である。

 

私は伝説の巨人、ハリー・バードンのプレーを見て楽しむに十分な年齢に達していたが、

それでもバードンのパワーを正しく評価できるほど大人ではなかった。

 

従って、私が見たプロの中ではヘンリー・コットンが最高であり、

1930年代のコットン以上に偉大なゴルファーが存在したとは、今でも思っていない。

 

しかも彼は、11年間にわたってアメリカが支配し続けた全英オープンを、

ようやく自国に取り戻しただけでなく、

イギリスにおけるプロの地位まで一挙に高めたのである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

 

悲劇の天才、マクドナルド・スミス トミー・アーマー(1935年) 〜(5)

 

彼ほど偉大な人物が、レッスン書も出版せず、

ゴルフ雑誌のインタビュー記事にすら登場しなかったのは、

実は彼の神秘的に美しいスウィングが誰にも真似のできないものであり、

誰にも書くことが出来なかったというのが正しい理由だろう。

 

もし私たちがマックのようにボールを打ったならば、

世界中のコースにディボット跡が一つも残らないと断言できる。

彼はコースの芝を教会の祭壇に敷かれた絨毯のごとく扱ってきた。

 

何かの機会に、私は偉大なるマクドナルド・スミスの話を残しておきたかった。

 

彼の人格の高潔さ、高邁なる生き方、清澄な心について語っておかなければ、

やがて忘れ去られるのが人の定めだからである。

 

誰かが書き留めなければ、あの天才的なスウィングも讃えられることがなく、

ただ単にナショナル大会で挫折した1人の選手として記録されるに過ぎない。

 

オープン・チャンピオンであろうとなかろうと、

マックこそ真のチャンピオンとして威厳を持ち続けた男であり、

誰もが彼から王者の威厳を感じて、きっと尊敬するのだった。

 

もしナショナル大会で優勝するためには、運よりも実力が必要だという者がいたならば、

私はその男にパンチをお見舞いするだろう。

 

それはゴルフという意地悪なゲームの本質を知らない愚か者の発言であり、

ナショナル大会でなくても、試合に勝つためには山ほどの運が必要とされるのだ。

 

偉大なるマックには、ほんの少しだけ運が不足していたのだと思う。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

おしまいです。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

悲劇の天才、マクドナルド・スミス トミー・アーマー(1935年) 〜(4)

 

プレストウィックで行われた1925年の全英オープン最終日には、

空前のギャラリーが押し寄せた。

 

その数3万人ともいわれるが、

その誰もがマックの優勝の瞬間を見るために駆け付けたのだった。

 

彼は前日まで断然リードしていた。

ところが半狂乱のギャラリーはマックのホールアウトが待ちきれず、彼を押しつぶしてしまった。

これから打つべきフェアウェイまで人の波で埋まり、彼は呼吸すらできなかった。

 

恐ろしいことに彼は「82」も叩いて優勝戦線から脱落したのである。

 

サンタクロースよりやさしい彼は、ギャラリーを恨んだりはしなかった。

自分が弱いから、だから勝てなかったと苦笑しただけである。

 

勝負の女神に翻弄され続けて、彼はさらに奥行きの深い男になった。

心に傷のある人間ほど他人の痛みにも理解がいくように、彼は誰にでも優しかった。

 

とりわけ若い選手が失敗したとき、彼は慈父のような眼差しで見守り、そして言った。

「ゴルフとは、失敗するほど強くなるゲームだよ」

 

暴徒と化した数万のギャラリーが、マックからタイトルを奪ったと新聞が書いたとき、

彼は次のようにコメントした。

「そんなことはない!」

 

誰もが彼の芸術的なスウィングを真似ようと努力した。

 

どこにも力んだところがなく、それは作家のスコット・テスホルムが書いたように、

マックスウェルトンの山脈の優雅な曲線の如く芸術的であり、

紺碧の空を飛翔する純白のカモメの如く優雅であり、

全体として端正な貴婦人の踊る姿にも似て、見る者すべてをうっとりさせたが、

これこそが天性であって誰にも真似が出来なかった。

 

私も何度か彼のように打とうとしたが、すぐにあきらめてしまった。

マック以外の誰かがクラブを振ると、必ずどこかに力が入ってしまうからである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

悲劇の天才、マクドナルド・スミス トミー・アーマー(1935年) 〜(3)

 

1931年、カーヌスティで行われた全英オープンでは、

マックの最後の3ホールのスコアが「5、6、5」だった。

 

これによって選手権のタイトルは私が獲得することになった。

 

試合前から彼の調子は神がかり的に素晴らしく、

初日が始まる前から、選手の誰もがやる気をなくすほどだった。

 

この時もまた私はマックに賭けていた。

 

ゲームが終わって彼が私の所に歩み寄ってきたとき、

私はどこを向いていいのかわからなかった。

 

心の奥底では、マック、このタイトルは君が取るべきではなかったのか、

絶対に俺ではないと呟いていたが、何も言えなかった。

 

彼は私の手を取り、指が白くなるほど握りしめて、本当に優しさのこもった声で言った。

「トミー、きみが優勝して嬉しいよ」

 

私は叫びたかった。

「私にタイトルをくれては駄目だ。マック、きみこそチャンピオンなのだ」

 

長いゴルフ人生の中で、彼がカーヌスティのクラブハウスの中を

ロッカールームに向かって歩み去る姿を見た時ほど、落ち込んだことはなかった。

 

勝ったのに少しも喜びがこみ上げず、

ゴルフという残酷なゲームに恨みさえ抱いていたのを覚えている。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


ゴルフ大全(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

悲劇の天才、マクドナルド・スミス トミー・アーマー(1935年) 〜(2)

 

彼がゴルフに向かない人間などと、言わないでくれ。

神が与えた最高のゴルフ気質の持ち主なのだ。

 

マックは見事に戦い、タイトルを取ったと思われた瞬間、誰かにさっと奪われ、それでも誇り高く、

いや、むしろ気高くさえ感じられる振る舞いで静かにクラブハウスまで歩いて戻ると、

いつものように感じよく誰とでも会話を交わすのだった。

 

72ホールのゲーム中に2、3回、ショットが上手くいかなかったからといって

怒るような短絡な男ではない。

 

彼が勝てない不思議な現象について、

ゲーム運びに何か重大な欠陥があるのだろうと書いた評論家がいる。

 

そんなもの、どこにあるというのか。

欠陥など何ひとつありはしない。

 

彼のゴルフ歴は常に偉大だった。

 

ハリー・バードンが太陽の如く輝いていたとき、

マックも負けずに輝いていた。

 

ウォルター・ヘーゲンが炎の如く大空を染めていたとき、

マックの炎も宇宙を焦がしていた。

 

ボビー・ジョーンズがゴルフというゲームを昇華させたとき、

マックもまたゲームの地位を限りなく昇華させてきた。

 

そして彼らが去った後も、いまだにマックは偉大である。

60歳までなら、彼にはナショナル大会で優勝するチャンスが大いに残されている。

 

彼が90歳になるまで、私は世界中の賭け屋を相手に

彼が全米オープンか全英オープンで優勝するほうに賭けるだろう。

 

どうか信じて欲しい。

 

私たちスコットランド人はアメリカ人と違って、ブームや人気で賭けたりしないのだ。

正しい判断に基づいて確信がなければ賭け屋に電話を掛けたりしないのだ。

 

私はいつだってマックに大金を賭けてきた。

彼は最高のショットメーカーであり、

彼のゴルフは芸術の範疇に属すると専門家の誰もが認めてきた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

悲劇の天才、マクドナルド・スミス トミー・アーマー(1935年) 〜(1)

 

私が知る限り、最高のスウィンガーとして畏敬するマック・スミスは、

1万ものフェアウェイに向かって出発したが、

ついにナショナルオープン選手権では一度も優勝しなかった。

 

楽屋裏で空腹にふるえながら、それでも舞台では

観衆の誰もが感動せずにはいられない天才道化師、それが彼だった。

 

芸術が、芸術家をあざけり笑うかの如く、メジャー大会だけが彼を締めだした。

それでも天才にはかわりはない。

 

ゴルフは気まぐれであり、とくにナショナル大会では筋書きと予測が通用しない。

 

その気まぐれな大会では、シナリオに登場しない男たちに優勝カップが授けられてきた。

彼らと言えば、偉大なるマックと比べた時、まるでゴルファーと呼べないほどのれべるである。

 

マクドナルド・スミスは、1890年にスコットランドのカーヌスティで生まれた。

 

両親と兄弟3人揃ってアメリカに移住、長男のウィリーが1899年に全米オープンに勝つと、

次男のアレックスも1906年と1910年に同じく全米オープンで優勝、

次は兄弟の中でも最高のスウィンガーと絶賛されたマックの番だと誰もが期待した。

 

ところがツアーで50勝以上もしたのに、いざメジャーとなるとなぜか不運に見舞われる。

1930年の全英オープンではボビー・ジョーンズに及ばず2位、

全米オープンでもジーン・サラゼンに負けて2位。

 

私にはなぜ彼が負けたのか、うまく説明できない。

 

彼は夢に現れるほど見事なスウィングでボールを打ち、惚れ惚れするほど美しく歩き、

どこにも隙がなく、プレーも敏捷でボールに対するタッチは天才的としか表現できないのだが、

なぜか終盤になると、だれかが1発だけスーパーショットを放って、彼を突き放すのだった。

 

それがナショナル大会に限っての出来事とは、いかなる運命なのだろう。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


ゴルフ大全 (マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

「シルバー・フォックス」の伝説 クラレンス・B・ケーランド(1935年) 〜(5)

 

私の人生の中で、何週間にもわたって彼と一緒にプレーした日々は、

替えがたいほど名誉に満ちたものだと思う。

 

あるとき私は、「ポカ・ラトン」の猛烈にむずかしくて長いコースで

彼と連続9ラウンド、真剣にプレーしたことがある。

そのときの彼のスコアの平均は「69」だった。

 

「全英オープンで戦うよりも、何倍もプレッシャーを感じる」彼の言葉に嘘はなかった。

なにしろ私は1ホールに1打のハンディをもらった上、5ドルのハーフナッソーをしていたのだ。

 

彼は真剣勝負の中から私にゴルフの奥義を伝授しようと考えたらしい。

とりあえず成功したように思うが、それでも私は彼に勝てなかった。

 

トミー・アーマーという男は、誰に対しても心にない言葉など掛けたこともなかった。

お世辞も言わず、素晴らしいと言って抱きつくこともせず、無駄口も嫌ったが、

それでも彼があなたに好意を持ったなら、次第にわかるだろう。

 

特別なジェスチャーが存在したわけではない。

言葉で「きみが好きだ」と伝えることもしない。

 

とても神秘的で気むずかしく、むっつりしたやり方だが、

それでも真っ直ぐに行為が伝わってくるのだった。

 

スター気取りのプロゴルファーと違って、彼は喉に蛙がつまったソプラノ歌手より

気むずかしかったが、常に両足が大地にどっしりと根づいていた。

 

会話は洗練され、言葉にセンスがあり、

人間という名の生き物について、別格の観察眼を持っていた。

 

とても思慮深くて不機嫌な印象を与えたが、話すほどに温かみが伝わり、

辛辣だが検事のように意地悪ではなかった。

 

人にチクリと痛みを感じさせる毒の舌を持っていたが、

同時に挨拶の手を上げただけで相手がホッとする優しさも天性のものだった。

彼は何日間でも隣に座って共に旅をしたい男の1人であり、しかも、偉大なゴルファーなのだ。

 

ときに気むずかしくて、

反対に彼の心臓を氷のツララで突き刺してやりたいと考えたこともあった。

 

あのひどいスコットランド訛りの子音によって、

前歯が割れてしまったしまえばいいいいと思ったことさえある。

 

それでも彼には多くの人を越えて到達した「何か偉大なもの」が兼ね備えていた。

男が畏怖する男、それがトミー・アーマーである。

 

もし彼と共に満ち足りた夕食を過ごすためには、私は長い汽車の旅もいとわないだろう。

 

誰かと2人きりで15分以上も部屋に閉じ込められるとなると、

私はかなり相手をえり好みするタイプだと、

それでも私は彼が1番ティで待っていてくれるなら、地球の裏側まで駆けつけるだろう。

 

 


ゴルフ大全 (マイケル・ホッブス)

第3章 偉大なる男たち

 

「シルバー・フォックス」の伝説 クラレンス・B・ケーランド(1935年) 〜(4)

 

「私には、どんなクラブがいいのでしょうか?」

すがるように、あなたは尋ねるだろう。

 

すると彼は、必ず次のように言うのだ。

「私の一物を見ろよ」

 

いつの場合でも彼は自分のクラブを見ろとは決して言わない。

「私の一物」が口癖だった。

 

そして最後に決定的な一言が発せられる。

「そんなクラブ、誰が売ったんだい?」

 

これでショーはフィナーレを迎える。

鳥は寝ぐらに、動物は巣穴に、ゴルファーは彼のふところに。

 

それからの時間は記憶に残らないだろう。

 

自信に満ちた彼の言葉だけが耳に残ったあと、ふと気が付くと、

あなたの手には3本の新しいウッドとアイアンのフルセットが乗っていて、

夢遊病者のように店からさまよい出るだけである。

 

しかも信じられないことに、本当は快適なベッドで睡眠をむさぼっていたい早朝、

彼からレッスンを受ける日時まで決まっているのだ。

 

彼はゴルフ史空前のセールスマンと呼ぶべきである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


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