「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

じっくりと前へ バーナード・ダーウィン(1934年) 〜(2)

 

第1回全英オープンが開催される以前から、

プレストウィックのわけの分からないコブだらけのフェアウェイとラフ、

判読不能としかいいようのないグリーン、

ことさら広くて深いバンカーは、無量のゴルファーを泣かせてきた。

 

ファイナルでのリトルは、慌てず騒がず、

複雑なコブを掌握した上で絶妙としかいいようもない

ランニングとピッチショットでグリーンを完璧に攻め立て、

相手がうなだれるほど見事なパッティングを次々に決めていった。

 

さらに印象的だったのが、前へ前へと進んでも一向に急がず、さりとて決して遅くもなく、

まるでメトロノームのように休みなく正確に歩き、球を打ち、そのすべてが完璧だった。

 

マッチプレーでは人間が相手とされるが、

あの日の彼はコースのパーを相手に究極のショットを重ね、

ジミー・ウォーレスは眼中にないようにさえ思えた。

 

これこそが理想的なマッチプレーの戦い方であり、

彼は自分の世界を築き、その世界の中で理想の実現に努力していたのだと思う。

 

その証拠に、いくつかのホールでは、まさかと思えるほど長い

ウォーレスのパットに対して「ギミー」(OK)を出していたからである。

 

まさに寛大で美しい光景だったが、リトルにはどうでもいい話だったのかもしれない。

彼は相手に何の注意も払っていなかった。

 

全神経の全てを傾けて限界までホールに集中する姿は、

何やら神々しくさえ思えてきた。

 

集中力が高まるにつれスコアはさらに縮まり、

ひたひたと前進する彼の偉大な姿ばかりが一層大きく見えて、

ついには難攻不落といわれたプレストウィックまでが箱庭に見えてきたのだった。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

以上です。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

じっくりと前へ バーナード・ダーウィン(1934年) 〜(1)

 

印象としては、影絵のようにぼんやりとしているが、

淡い霧の中から現れたローソン・リトルの姿は巨大だった。

 

彼は生まれてこのかた、急いだことがないように思えた。

 

私が初めて彼を見たのは、プレストウィックで行われた全英アマ選手権のファイナル、

どのクラブであれ力一杯振られずにはいられないジミー・ウォーレスとの1戦だった。

 

この試合でのリトルは、

各ホールに0.5打のハンディを相手に与えたとしても楽勝したに違いない。

なにしろ23ホールが終了した時点で実に10アンダーの快スコアだった。

 

しかし数字などゴルフを測る1つの目安に過ぎない。

問題は中身なのだ。

 

彼が私に与えた印象は強烈だった。

 

それまで多くの試合を見、自分でも多くの試合を戦ってきたが、

プレストウィックでみたリトルほど凄みのある選手はいなかった。

 

まさにパワーと正確さの見本であり、ただ舌を巻くしかなかった。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年) 〜(5)

 

「スウィングとは、ボールを打つのに必要なこと以外、

何もしない単純動作を指す言葉だ」

 

彼はオーストラリアの新聞にコラムを書いたが、その担当記者によると、

自分が言いたいことについて見事なまでに正確、簡潔、流暢であり、

まるで優れた短編作家のように思えたそうだ。

 

およそプロの中で、このような才能を持った人はいないだろう。

 

私は、彼の試合の多くを観戦したが、

自分のプレーが少しだけ狂ったとしても、絶対に取り乱さない男だった。

 

冷静、沈着という言葉は彼のために用意されたようなものである。

 

1954年の終わり、セントアンドリュースで開催されたマッチプレー選手権の

決勝戦に進出した彼は、ジョン・ファロンと熾烈な戦いを演じた。

 

予想ではピーター・トムソンの圧勝とされていたが、

ファロンは見事なショットを続けてエキストラ・ホールまでもつれ込んだ。

 

トムソンのパットは惜しいところで入らず、

その瞬間、すべての幸運がトムソンからファロンに引っ越したように思えた。

 

彼に出来ることといったら、

ただじっと立って、相手の勝利のパッティングを見守るしかない。

 

ファロンは、それほど長くない距離を慎重に観察していた。

 

私はトムソンの様子を黙って眺めていたが、

彼はパターにもたれかかってギャラリーの様子をぐるりと眺め回すと、

何人かの知っている顔と遭遇したのだろう、彼が楽しそうに笑ったのである。

 

一瞬、私は自分の目を疑った。

 

相手のパットが入った瞬間、大きなタイトルと

途方もない金額が消えてしまうというのに、彼は心から楽しそうだった。

 

やがて打ったファロンのボールはふちで止まり、

2人はふたたび「スウィルカーン・ホール」に戻って、

プレーオフに臨むことになったが、私はもう後を追わなかった。

 

これ以上観戦する必要もないと感じたからである。

あの笑顔を見た時、彼が勝つと私には分かっていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

見てみたかったですね。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年) 〜(4)

 

1954年の全英オープンで見せた彼のプレーは、

まさにシンプソンの言葉通りだった。

 

もし、ある日の夕方、誰かが彼に会ったとしても、

そして彼がトーナメントの首位にいたとしても、

それがピーター・トムソンだと気づくまでに相当の時間がかかるだろう。

それほど彼は地味であり、常に寛いだ雰囲気が漂い、とても物静かな紳士だからである。

 

おそらく彼にとって、ゴルフは人生の究極の目的ではなく、

趣味として楽しんでいるところが余裕となって感じられるからだろう。

 

実際、彼は遊びでゴルフをしているような印象を与え、

ゴルフは他の価値ある行動のための副業のようにさえ思えた。

 

ゴルフについて語るとき、彼の態度は世界のトッププロではなく、

知的でユーモアに溢れ、観察力の鋭いアマチュアのようであった。

 

1954年から全英オープンに3連勝した後、58年と65年にも優勝、

他にもワールドカップに2回優勝、全豪オープンでも2回優勝しているが、

彼は誰かにレッスンをしたり、メンバーに仕えたりすることはなかった。

 

厳密な意味で彼はプロとは言えず、

むしろ澄み切った心に満たされたアマチュアに限りなく近かった。

 

レッスンなど、彼の人生設計の中には全く入っていなかったように思える。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年) 〜(3)

 

16番のバーディーの後、17番もパーでホールアウトすると、

いよいよ最終ホールに臨んだが、やはりプレッシャーにはあがなえず、

1、2打ともジグザグ行進になってしまった。

 

2打めはグリーンから100ヤード以上も離れた丘の上にあって、

私が立っている場所から彼の姿は見えなかった。

 

とても長い時間が流れたように思えた。

 

やがて丘の彼方から音もなく白球が舞い上がると、

随分上空に留まったあと、ゆっくりとピンの1m以内に落下したのだった。

 

上気した彼が私の横を通り過ぎようとしたとき、

私は見事な4打のホールアウトを称賛した。

 

すると彼は、ふたたびこのように言ったのである。

「あの場所ですばらしいライに恵まれるとは、なんてラッキーなんだろう」

 

ピーター・トムソンは、

一流のゴルファーなら絶対に口にしないことを平気でしゃべる男である。

私たちゴルフ・ジャーナリストにとって、およそ聞きなれないことを言うのだった。

 

自己弁護は誰もが常に用意しているものだが、

特にいいショットは自分の手柄、

悪いショットは何かに責任転嫁するのが常套手段である。

 

ところが彼は球史に残るほどのスーパーショットを放ってさえ、

いつだってライが良かった、ラッキーだった、僕は幸運な男というだけで、

ただの一度も不運を嘆いたことがないのである。

 

不朽の名著「The Art of Golf」の著者、

サー・ウォルター・シンプソンは次のように書いた。

「チャンピオンの資格とは、

運の良さを最大限に生かし、悪い時にベストを尽くす能力の有無をいう」

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

なかなか、こうはいきませんね。

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年) 〜(2)

 

トムソンは最後の3ホール、平均4打でホールアウトしなければならなかった。

 

16番は長く、2打で乗せるのが不可能なロングホールであり、

17番はショートホール、

そして最終ホールはミドルアイアンでグリーンを狙う局面だった。

 

もし彼が16番でバーディーさえ奪えれば、

初優勝の可能性は50%以上になると私は考えていた。

驚いたことに、彼は1mmの狂いもなく正確に、それをやってのけたのである。

 

彼の2打めは左にある2つのバンカーのうち、

ピンから30ヤードの位置にある難しい方に吸い込まれてしまった。

 

ところが無造作に、

なんとピンの60cmに寄せてなんなくバーディーを奪ったのだった。

 

ライバルが戦意を失うほど簡単に見えた。

彼のゴルフは常に「簡単」なのである。

 

砂を深く取り過ぎたり、浅く打ち過ぎたり、

どのゴルファーにも起こりがちなトラブルとは無縁だった。

必要とあらば、瞬時に正確なショットをやってのけ、表情ひとつ変えなかった。

 

あとになって、私は彼にあのバンカーショットについて尋ねた。

 

彼はいつも言葉を尽くして質問に答えてくれるタイプの男であり、

しかも発言は常に私を感動させた。

 

「あのバンカーの美しいライは、忘れたことがない。あれ以上やさしい場所はないだろう。

砂の表面は美しくて少しアップヒルライだった。誰が打ってもうまくいくライだと思うよ。

優勝するときには、決まってあのように運がいいものさ」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

陽気で謙虚なチャンピオン パット・ワード・トーマス(1961年)

 

1954年の夏の日も終わりに近づいて、陽光は西に傾き、

ロイヤル・バークデールの複雑なマウンドの頂点が黄金色に輝き始めていた。

 

若きピーター・トムソンは、全英オープンの初優勝に向かって大股に突き進んでいた。

 

もの凄い数のギャラリーが取り囲み、

彼が砂丘と柳の低い枝の間に高くそびえた16番ティに立った時、

このオーストラリア出身の若者は、夕陽を浴びて朱に染まった彫刻のように見えた。

 

彼は残りの3ホールで、自分がしなければならないことを自覚していた。

 

ライバルのスコットとリースはすでにホールアウトして、

この若者のスコアに一喜一憂しながら冷えたビールを喉に流し込んでいた。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

商売上手のチャンピオン ハーブ・グラフィス(1975年) 〜(6)

 

1930年代にはウォルター・ヘーゲンと並んで彼の時代が到来した。

 

メジャーで勝ってトップの地位に到達したが、

それでも自分の名前が新聞の見出しを飾るためなら、

自由の女神のトーチから素っ裸で飛び降りるだろうと書いたゴルフ作家もいる。

 

物理的に彼のスウィングは決して美しくなかった。

しかし、己を語ったり書いたりするときの形容詞は流麗だった。

 

ある冬、彼は雑誌記者に革命的なアイデアがあると電話した。

「トーナメントのカップの口径を、8インチの大きさに広げたらどうだろう?」

 

つまり、現在の倍の大きさにすることでゴルフがやさしくなり、

誰でも優勝することが出来るというのが彼の考えだった。

 

ところが、この話が雑誌に載ると非難ごうごう、

神聖なるゲームに対する冒瀆だと新聞までが書き立てた。

すると利口な彼、あれは単なるジョークだとすり抜けた。

 

結局のところ、

ゴルフがテレビのCMも含めて多角的な商売になり得ると証明したことでも、

サラゼンは最初の人物である。

 

それはマスターズでの劇的なアルバトロスの影に隠れてしまったが、

彼は本物のイタリア系ビジネスマンの典型なのだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

でした。

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

商売上手のチャンピオン ハーブ・グラフィス(1975年) 〜(5)

 

やがてアルは、サラゼンの強さに感心して、

ブリッジポートで最も人気の高いクラブ、ブルックローンに彼を推挙した。

 

そこのプロ、ジョージ・スパーリングはむっつりしたスコットランド人だったが、

たちまちサラゼンの才能を見抜いて、自分のアシスタントに任命した。

 

もしサラゼンが成功した秘密の一つを挙げるならば、

彼は一緒にプレーしたメンバーやゲストに対して、

必ず丁重に感謝の手紙を投函したことだろう。

 

これは画期的なことであり、とくに上流階級のメンバーたちは彼の礼儀正しさに感心して、

次から贔屓にしてくれたのだった。

 

このころから彼は自分を売り込む最高のセールスマンであり、

マネージャーの必要がないプロだった。

 

次第に頭角を現した彼は、依然として手紙と電話によるコミュニケーションに熱中し、

ゴルフ以外の時間は手紙書きに費やされた。

 

現実主義者のトミー・アーマーに言わせると、

「何もしてくれない人と、サラゼンが5分以上話す姿など見たこともない」

 

それから、このようにも言った。

「決して悪いことではない。私にも彼の真似が出来たらと思う」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 

 


「ゴルフ大全」(マイケル・ホッブス編)

第3章 偉大なる男たち

 

商売上手のチャンピオン ハーブ・グラフィス(1975年) 〜(4)

 

過酷な労働条件下での長時間作業によって、

サラゼンは肺炎をこじらせ、臨終の儀式を行うために牧師までが呼ばれた。

 

そこから奇跡的に生き延びると、折から大戦に終止符が打たれる時期と重なり、

いよいよゴルフに人生を賭けようと決意する。

 

彼はキャディ時代に知り合ったアル・キーチのいる

コネチカット州のブリッジポートGCに出掛けて行く。

 

そこは9ホールだけの牧場と隣り合わせたコースだった。

給料がもらえないので、彼は賭けゴルフで暮らすしか方法がなかった。

 

ずんぐりした体躯から信じられないほど遠くまでボールを飛ばし、

とくにバンカーとパッティングに天与の才を持つ彼は、負け知らずだった。

 

アルは基本を手ほどきしようと試みたが、サラゼンは自分の流儀を崩さなかった。

 

なにしろスコットランドとアイルランドの出身者たちがプレーする現場に立ち会い、

自分の目で盗んだ秘伝である。

 

彼はそれが正しいと信じていた。

 

・・・・・・・・・・・・・・

 

続きます。

 

 


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